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SWSからプロレスマスコミに渡された現金10万円入りの封筒■小佐野景浩のプロレス歴史発見④
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SWSからプロレスマスコミに渡された現金10万円入りの封筒■小佐野景浩のプロレス歴史発見④

2014-09-19 13:09

    元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩が90年代のプロレス界を回顧する「プロレス歴史発見」。第4回は天龍源一郎SWS編「プロレスマスコミとカネ」「アポロ菅原vs鈴木みのる」「SWSが目指したスポーツプロレス」「派閥争いの解散劇」……イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」の出張版つきでお届けします!

    第1回&2回はhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar612624
    第3回はコチラ→http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar618588


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    ■元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩
    「ジャイアント馬場vs天龍源一郎」とは何だったのか

    ■衝撃告白! 船木誠勝が語る90年代プロ格の時代「俺は真剣勝負をやるつもりはなかったんですよ」
    ■格闘家・桜井隆多は神様の弟子だった!「ゴッチさんがハーモニカを吹いて待ってたんです」
    ■UWFと修斗の鬼っ子!キングダム入江秀忠が見た「総合格闘技が生まれた時代」
    ■ベラトール参戦!所英男「もう一度、人生を変えられる試合がしたいです」

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    95年4月2日、『週刊プロレス』発行元のベースボールマガジン社が主催した「夢の懸け橋」東京ドーム大会。各プロレス団体が協力する中、同日に後楽園ホール大会を予定していた天龍源一郎率いるWARにも参加の呼びかけがあったが天龍は拒否。



    ――あの当時『週刊プロレス』のSWSバッシングが激しかったじゃないですか。『ゴング』側からはどうご覧になってたんですか?

    小佐野 なぜ『週プロ』がSWSを叩いたかといえば、それはボクが原因だったところも少なくないんですよ(笑)。それは『ゴング』が天龍さんが全日本を離脱したときに「ジャンボに負けたらやめる」発言を書いたから。ライバルマスコミにスクープが取られたからなんですよ。

    ――前々回のインタビューで話していただいた天龍さんのエピソードですね。つまり原因はターザン山本の嫉妬ですか(笑)。

    小佐野 それと山本氏が自分の本で書かれていたように、馬場さんから裏でお金をもらっていた、と。

    ――金で動いたのは天龍さんじゃなくて『週プロ』だったという。団体から金銭をもらって意図的な記事を書いてもらうことってあるんですか? 

    小佐野 いやあ、山本氏のケースはストレートすぎるよねぇ(苦笑)。

    ――SWSもマスコミを接待していたという話でしたけど。

    小佐野 SWSで接待と言えたのは、91年正月のハワイ旅行くらいですよね。選手たちと一緒にマスコミも招待されて。

    ――いわゆる親睦会というか。

    小佐野 そのときハワイ現地でマスコミが若松さんに呼ばれて封筒を渡されたんですよ。100ドルくらい入ってるのかと思ったら10万円。

    ――マスコミ全員に10万円!!(笑)。何人に配ったんですか?

    小佐野 あのときいたマスコミは『東スポ』、『日刊スポーツ』、『デイリースポーツ』、『週プロ』、『ゴング』の6人くらいですかね。でも、さすがに返しましたよ。当時SWSは“金権プロレス”ってことで叩かれていたときじゃないですか。「これで金で買われたと思われるのは冗談じゃない」と思ってね。 

    ――そんな中、SWSをバッシングしていた『週プロ』の記者だけがしっかり頂戴したと聞いてますね(笑)。

    小佐野 そうそう。べつにもらってもいいとは思うんだけど。むしろ『週プロ』はもらってたほうが話としては面白いよね(笑)。そんな件があったことで田中社長もわかってくれて「ああ、アナタたちはそういうのは嫌いなんですね。では、食事ならいいですか」ってことで1回だけで銀座で意見を聞きたいということでごちそうになりましたよ。

    ――当時のマット界って、まだマスコミへの「大入り袋」や「車代」の風習はあったんですか?

    小佐野 その風習はあった。だから100ドルくらいだったらもらってましたよ。当時は当たり前のお金だという認識はあったから。ただ、それが10万円という大金になるとやっぱり買収かなという気持ちにはなりますよ。あの頃の新日本なんかも記者会見のたびに、お車代が出てたし。

    ――記者会見のたびに!(笑)。

    小佐野 あと試合会場に行くと「大入り袋」が出て。新日本の担当記者は潤ったと思いますよ(苦笑)。

    ――いくらもらえるんですか?

    小佐野 5000円。時代的に言うと1980年代、新日本担当が蔵前国技館へ取材に行くと、営業部長の大塚直樹さんが大入り袋を配るんです。カメラマンはリングサイトで試合を撮っていると、後ろから肩を叩かれて公衆の面前で渡されていたんだから(笑)。

    ――「大入り袋」や「車代」はどこから来た慣習なんですかね?

    小佐野 どこからなんだろう? まあ、興行の世界ですからね。「ご祝儀を張る」とか言うじゃないですか。でも、全日本の担当なんて、記者会見で出されるのはケーキとコーヒーくらいですよ(笑)。

    ――ハハハハハハ! さすが馬場さん、アットホームですね(笑)。

    小佐野 世界最強タッグの記者会見を品川プリンスホテルでやるじゃないですか。そのときは会見後にレストランで夕食が出るんです。全日本担当の贅沢はそれぐらいでしたね(苦笑)。

    ――全日本は新日本と比べてお金がそんなになかったですね。

    小佐野 正月興行のときは「大入り」と馬場さんからのお年玉がありました。金額はまちまちだけど、1000〜5000円ぐらいかな。面白かったのは、あるときの正月興行で新日本より全日本の大入り袋の金額が多かったことがあったんですよ。あとからそれを知った新日本が追加で出したことがありましたね(笑)。

    ――そこは団体のメンツだったんですねぇ。

    小佐野 FMWを立ち上げたばかりでお金がなかった大仁田厚もくれようとしましたからね。

    ――5万円で旗揚げした貧乏団体なのに!(笑)。

    小佐野 貧乏な頃なのはわかってるから「いいですよ、わかってくれるから」って断りましたけど。あの当時のプロレス団体は「ウチは金を切れるぜ!」という羽振りの良さを見せたかったんでしょう。

    ――そこはプロレス団体のメンツで。

    小佐野 力道山時代のマスコミの方は相当いい思いをしていたといいますよ。会社からもらう給料より巡業の金庫番の吉村道明さんからもらう小遣いのほうが多かったという話を聞きますもん。
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