僕は妻を2人ともガンで亡くした。
そのためもあって、医療問題には少なからぬ関心を持っている。
僕が関わっているNPO法人では、抗がん剤を試してみて、効果がなかったら、
治療の途中でも投与を中止しようと主張している。
「そんなことは当り前だろう」と思うかもしれない。
けれど、現在の日本では違うのだ。
「効く」「効かない」にかかわらず、一度、抗がん剤を投与し始めたら、
予定した量をすべて投与し終えなければならない。
当然ながら、効かなかったときの患者のダメージは大きい。
はたして、このNPO法人はこのような主張をしたため、厚労省から補助金を
打ち切られてしまったのだ。
とにかくたくさんの抗がん剤を売りたいという製薬業界の思惑が、その背景に
あるとしか僕には思えない。
抗がん剤は一定の量を投与しないと効果がわからない、というのが、厚労省、
そして製薬会社の主張である。
しかし、一定量を投与しなくても「効く」「効かない」はわかるはずだというのが、
このNPOの主張なのだ。
がん治療をめぐる問題は、もうひとつある。それは「混合診療」だ。
日本で認められていない抗がん剤を日本国内で使う場合、健康保険は適用されない。
そこまでは仕方ないだろう。
ところが、この認可されていない抗がん剤の治療以外の診療までもが、健康保険の
対象外となってしまうのである。
もし日本で未承認の抗がん剤を試そうとすると、その患者のがん治療で健康保険が
まったく適用されなくなる。莫大な治療費になってしまう。
結局、多くの患者は、その治療をあきらめるしかない。
患者の立場からすると、あらゆる可能性を試したいと考えるのは当然だろう。
だから、たとえば、
「この抗がん剤治療は健康保険の対象外です。しかし、他の治療には健康保険が使えますよ」
となれば、どうか。
金銭的な理由などで、いままであきらめてしまっていた患者も、可能性のある治療を
試すことができる。これが「混合診療」である。
なぜ、「混合診療」が日本で認められないのか。
それは日本医師会が反対しているからだ。日本医師会は自民党の支持母体である。
日本医師会は、反対の理由をホームページにこう書いている。
「医療は、教育などと同様に『社会的共通資本』であるという考え方を私たちは持っています」
「健康保険の範囲内の医療では満足できず、さらにお金を払って、もっと違う医療を受けたい
というひとは確かにいるかもしれません。しかし、『より良い医療を受けたい』という願いは、
『同じ思いを持つほかのひとにも、同様により良い医療が提供されるべきだ』という考えを
持つべきです。混合診療の問題を語るときには、『自分だけが満足したい』という発想ではなく、
常に『社会としてどうあるべきか』という視点を持たなければならないと考えます」
なんだか、さっぱりわからない文章だ。
要は「患者に不平等が起こる」、だから混合診療は認められないということか。
まるで社会主義国だ。
本音を言えば、保険事務が煩雑になるのが面倒だということかもしれない。
日本は、いま問題が山積している。
なかでも、国民生活に密着した問題にもっと目を向けるべきなのに、まったく改革は
進んでいない。
改革を邪魔しているのは既得権益者だ。
その既得権益者を支持基盤にしてきた自民党から、民主党へ政権交代をした。
このときが改革のチャンスだった。
しかし、民主党政権になっても、改革はいっこうに進まない。
さて、衆議院選挙の時期が迫ってきている。
誰が改革を実行するのか、僕たちの生活を真に考えているのは誰なのか、
今度こそしっかりと見極めなければならない。
僕は、政治家の本音を引き出すために、これからも厳しく斬り込んでいきたい。
コメント
コメントを書くこの問題はコイツのせいって言うのはないんじゃないかなぁ
自分はむしろこの記事を読んでゾっとしたよ
でもコメントでは殆どの人がこれがおかしいって事を理解していて、
それを指摘してる人がいっぱいいてほっとした
>「効く」「効かない」にかかわらず、一度、抗がん剤を投与し始めたら、
予定した量をすべて投与し終えなければならない。
とえいあえず、この部分からして『はぁ?』と言う感じ
そしてNo7さんの、
>『一定量を投与しなくても「効く」「効かない」はわかるはず』っていうのはちゃんとエビデンスあるの?。
まったく同意だ。
某NPO団体ってどこだよ?
この人の言う、抗がん剤治療のプロトコルの問題は確かに議論するべきものだけど、
薄っぺらい知識で自分の都合のいいように語って、着地点は陰謀説。
奥さんが二人癌で亡くなった、その憎しみなんだか、自分の利益なんだが知らないけど、
私にはこの文章は、医療に携わる人、そして何より治療を受けている癌患者と未来の医療を、
本当に考えてるとは思えない。
甘くみすぎ。
一見すると、まるで真実を言ってるかのように思ってしまう人がいるんじゃないか。
癌治療を薄っぺらにしか理解していないようにしか思えない。
っていうか、正直に言うと、バカか?と思う。
患者のプロトコルは、過去積み重ねてきた結果からはじいたデータで
最も良いのはどうすることなのか、細かい数値で分けられ、決められている。
勝手にやめることは出来ないし、勝手に続ける事もできない。
それは、医薬会社の陰謀でも、政治のせいでもなく、
それが現段階の医療で、それが最も効果がある、と
過去のデータを基に細かく細かく判断しているからだ。
癌の治療ってそういうものなんだよ。
医療ってそういう科学的なもの。
特に、癌に対するものは。
そうすることで、今までの不治の病から、多くの人を助けられるようになっている。
結果として、助からない人もいる。
だから、間違ってるって思うんだろうけど。
コメントにもあるが、博打を撃つんじゃなくて、可能な限り効果の証明された治療をする、
それが、周り巡って癌患者を助ける医療になってるじゃないか。
それにね、副作用が効果を下回った時や、
定められた最低限の結果を得られなかったとき
治療を続行するかどうか、リスクをおかすだけの結果を得られるのか、
そういった事から、投与をやめたり、量を70%に減らしたり、次回からの投与期間を改善したりすることは
抗がん剤治療をしたものならば知っている、当たり前に行われている事だ。
これも前のコメントであるが、
>抗がん剤は「薬剤を一定期間投与すること」自体を「1回(1サイクル)」と定義している。
だから、1サイクルでの効果と副作用をみる。
効かないとわかった薬を死ぬまで苦しみながら入れ続けてるみたいな、わけのわからないことを書かないで欲しい。
その1サイクルの期間も、きちんとした根拠とデータに基づいて決められたものだ。
この当たり前に行われている行為は、医療が日々進歩しているから、
今までの行ってきた医療がデータとして活かされているからだ。
もちろん今現在も、よりよいであろうと考えられる方法に、どんどん変わっていっている。
きちんと癌治療を知り、理解していない人には、一見して正しいような文章を書くところが許せない。
そもそも医師がおり病院があり病気は治るものだという考え自体が間違っているのではないか?
本来は無くて当然、死んで当然。 たとえ藪だとしても医師がいるだけでも奇跡なのだ。 医師や医療への感謝を忘れてはいないだろうか? あって当たり前になってるからどんどん要求がわがままになっているのではないか?
本来は全額負担が当たり前ではないか? なぜ国がお金を出すのが当たり前と考えるのだ?
別にこのことだけでなく、あらゆる便利な物事への感謝の気持ちが無くなっていると感じる。当たり前だと考え、さらに便利を強要する。キリがない。血を吐きながら続けるマラソンだ。便利さを利用する人たちは他人にそれを強要してるんだ。人間は死ぬのが当たり前。病気でも死ぬし怪我でも死ぬし殺されても死ぬ。 だから長生きしたけりゃ気をつかう。つかっても運が悪けりゃ容赦なく死ぬ。所詮世の中サバイバル。弱肉強食。自分の身は自分で守るもの。その覚悟が足りないからこうやって「他人が悪い。自分は被害者」という不満に苛まされる羽目になる。
この人の記事一通り目を通してみたけど
今のテレビを否定しながらやってる事は同じって感が拭えない
テレビではもう少しマトモに見えたけどそれもテレビのお陰って事なのかな
医師側の根拠 → 膨大な臨床研究
バカの根拠 → なんとなく、〇〇なはず(根拠なし)
「NPO法人」ってどこのことを言っているんだろう?
参加者全員が医師で臨床試験をやったうえでの結果を主張しているのだろうか。
根拠の無い主張に惑わされて、助かるはずだった人が「すぐ効かないから」という理由で
治療を止める危険を回避するために厚労省がそんな判断を下したのでは?
お金に関しても「がん保険」っていう親切な保険もあるし
日本は他の国に比べて医療保険が充実してると思うよ。
一部この法律はおかしいと思うこともある。
大切な人を失った苦しみを紛らわすため、国のせいだと言いたくなる気持ちもわかる。
でも医療に関しては根拠のない主張をすることは許されることじゃないよ。
読み返してみたら、
この法人の例は調査不足以上に説明不足に思える。NPO法人の活動内容が何で、補助金の意味が何で、打ち切りの名目が何か、ということがわからない。
しかし記事の中心は後半の混合診療についての医師会のHPの説明文だろう。
http://www.med.or.jp/nichikara/kongouqa/appeal.html
http://www.med.or.jp/nichikara/kongouqa/index.html
保険外診療を受ける金のない人のためにそうでない人も同じ治療法仲間を抜けるべきではない、抜けることでみんなの治療法の収益を下げるのはエゴイストだ、と読めるな。
一サイクルなどの事情じゃなくて価値観の問題だ。制度に決定的影響力を持つ医師会の掲げる文だから、単なる一団体の意見を超えてこの文の内容と語調は国民に指図している、と田原氏は受け取るわけだ。そのくせ、どうにも内容の説明がない。ただエゴイストにならぬよう従えと言っている。これでは社会主義国かと思うのも自然だ。
もともと所得や資産に応じた分の健康保険税・料を納めてきていて、患者になったとき、患者が独自の努力をすることは平等でないから治療の自由を与えない、などとはりくつとしておかしいし、言われた本人や亡くした家族は納得できないだろう。
一般な考えとして、自分たちがそれなりに正しいからといって別の考えを価値観から否定する態度は、善意でも悪意でも他を排除する専横であり、それではシステムの改善は進まず、後から考えたら不合理を温存していたことがわかる、というのが歴史の経験則なわけだ。
この医師会のHPにあるQ&Aケースを見ると、あるゆる治療を保険制度の内で行い、保険認定自体が柔軟であるべきだが、混合的な柔軟性は認められない、ということのようだ。読んでいくと、ほんとうに社会主義的感覚が本意に見える。田原氏が挑発されるのは自然だな。
この平等重視は社会主義的感覚でないとしたらなんだろう。
たとえば、同じ病院内で保険外で助かる人が出ても、保険外治療は危険なはずだから、トータル確率では不公平にはならないはずだし。
さらに想像すると、病院内共同体感覚が壊れる、というのが原因じゃないかと思えてくる。とくに末期医療の病室は死を待つ場所という一面があるので、効果の確率とは別に乱されては困る、と思うかもしれない。
他にも、保険の自由化とつなげて保険制度の競走やら、その他いろんなことで不安定になるのが怖い、とも取れる。というのは、そのHPでは「社会的共通資本」という言葉があるが、これは経済学者の宇沢弘文氏が構造改革による医療危機を唱えていることとつながるから。医療崩壊とも関連づけられているのかも知れない。
そういうあれこれを引っくるめて、社会主義的感覚で語っているとも想像できる。
以上は、HPの感覚からの想像だけどね。
ただここまで社会主義的感覚だと、これがほんとに制度に決定的な影響を与えているのか、医療をほんとに代表しているのか、疑わしくなってしまうけど。
まあ、プロならHPの感想以上にもっと詳しく調査して欲しいところだが、いいかげん歳だし、もっと若い人に取り組んでほしいのだけど、他にいないんだろうな。
二回目のコメントだが、実は自分は、「特発性拡張型心筋症」だ。
特定疾患指定だからまだマシな部類だけどね。
薬によって生かされている。
アーチスト錠ってのがまず肝だ。
これ無しにはもう生きていけない身体になっている。
数値だけ見るとウィルス性心筋症の誤診だった可能性もあるが
今更病名を変えられて投薬治療を止める行為は自殺行為だ。
何が原因か分からないけど現状で状態を維持できるのなら投薬を続けると言う行為は間違いじゃない。
効かなかったから次の薬、そんな状態を続けることは出来ないんだ。
田原さん、あなたの私怨だけで駄文を書き連ねるのはやめてもらいたい。
癌以外で苦しんでる難病者は何万人といるんだ。
あんたはそれを貶めている。
論ずるならもっと深く事情を精査した上で校正してから投稿してくれ。
不透明な平等主義のことはともかくとして。
医師会がHPでいうことには、薬が認可されるまで待ちなさい。
たぶん、認可されるほど使い方が検証されるまで待ったら、ふつう年単位の時間がかかる。
wikipediaを見ると、命に関わるようなものは混合診療が認められている、という。
それで実際、命に関わるもので怪しげでないものは、認められている項目以外にほんとにないのだろうか。
HPが言っていることへの細かい感想。
HP文の対象になっているのは、あまり重度でない患者の気がする。宇沢氏のいう「社会的共通資本」の戦後の具体例からしても、保険制度と病院経営といったことの比重が多そうだ。それら総体的なことをうまく調整しようとしてみると、最後は事務がより複雑になりそうだ、ということで田原氏は事務が煩雑になるのが本音なのじゃないかと想像するわけか。
しかし患者が独自で別の治療を加えたいと強く望むのは、癌のような重大なものがたいていだろう。
医師会のHPは患者側向けに書かれているようなので、重大な場合も含めていると受け取れる。
そして、「社会的共通資本」という半分は業界団体的なことを、守るというより深化すべき理念として、平等主義という患者側のあり方を要求している。
細かく読むと、そんなところか。