10月25日、石原慎太郎東京都知事が辞職を表明し、石原新党結成を表明した。石原新党はさっそく維新の会との連携協議へ話が進んでいる。橋下徹日本維新の会代表は「報道されるほどの違いはない。政策の大きな方向性は同じ」と語っている。

 また、28日のフジテレビ報道2001で、渡辺喜美みんなの党代表は、石原新党との連携で「まったく妥協しないという意味ではない。基本政策や政治理念が一致すればいい」と述べた。これに対して、みんなの党が方針を一転させ、石原新党との連携に前向きと報じられている。

 このような政治家の動きをどのように説明すべきだろうか。

「政策で一致しない」というのは簡単だが

 石原新党に昇華する「たちあがれ日本」の政策を調べ、「首相公選制は採用しない」、「最新型の原子力発電所への更新・新設を認める」、「道州制はとらない」、「消費税増税を推進する」といったフレーズを見つけて、「日本維新の会」との政策の差異を指摘することは簡単である。また、これらの政策は、「みんなの党」とも真逆であるのも明白だ。

 また、石原氏は「原発や増税は大事だがささやかな問題」と言った。その後に「選挙の後に考えればいい」といった。これも、従来型の数合わせ、野合といえる。ただし、もしも「脱中央集権の一点だけをまずやる、その後に原発や増税を考える」と言い直した場合、それは政治家の価値観であって、ものはいいようで野合でなく大同小異といわれるかもしれない。一点豪華主義でも、きちんとしたゲームプランがあれば、選挙になる。

 石原氏は、何度も「日本にはバランスシートがない」といった。これも単なる事実誤認であろうが、それをあげつらうのはやめておこう。会計検査院のほかに、外部監査をやればいいだろうという主張なら、多少は理解もできる。会計検査院や国会が役目を果たしているというのは形式的な官僚答弁だからだ。

 今回のタイミングは、尖閣諸島で問題を大きくしたことや息子の石原伸晃氏が自民党総裁選に惨敗したこともあるだろう。いずれにせよ、何かしなければという気持ちがあることはわかった。

 実は、25日の石原氏の会見後に、石原氏に近い財界人から電話があり、感想を聞かれた。正直いって、今回は参ったのだが、上のようなありきたりの話はせずに、「自分で流れを変えられる政治家が、流れをかえようとしているのはよくわかった」としかいえなかった。

 いずれにしても、筆者を含めて第三者的な解説をする人は当事者の政治家のパッションをあまり理解していないのかもしれない。なにしろ、政治家は自分なら事態を変えられるという、ある意味で「狂気の人」の集まりなのだ。だから、客観情勢を分析して、こうなるという第三者には予想外の事態になる。

ロジックを超えて突っ走った小泉総理の郵政解散

 筆者はかつてそうした経験をしたことがある。小泉総理の郵政解散だ。その当時、解散すれば自民党は大敗するという分析ばかりだった。そのときの、自民党の選挙公約は、郵政を変えれば日本が変わるというものだった。とてもロジカルとは言いがたい。しかし、それを公言できるのが「政治家」なのだ。

 石原氏の話も、細部では事実誤認もあるが、全体として年老いたとはいえ必死さが伝わるものだった。そして、自分で流れを変えるという、どこかドン・キホーテのようなところもあった。本当にドン・キホーテなのか、実際に流れを変えるのかは後になってみなければわからない。

 例えば、今衆議院が違憲状態になっているが、年内解散・総選挙は、仮の「ゼロ増5減」の選挙制度改正法が国会で通っても、現実の選挙区区割り作業を考えると、絶望的だと普通の人なら思う。しかし、石原新党の余波で、都知事選の12月16日投開票にあわせて、衆議院選挙の目もでてきたというから、政治の世界はこわい。

 今のところ、石原氏は、猪瀬直樹副知事の名前を後継候補として上げたが、猪瀬氏も態度を明らかにしてない。今は名前が出ていない人も虎視眈々と12月16日を狙っているだろう。まさしく石原氏が都知事を辞めなければ起こりえない話が現実に起こりつつある。

 こうした動きが水面下で進むと、一気に都知事選、衆院選のダブルという可能性もでてくる。普通であれば、ありえない選択であり、都知事選があるとそれだけで年内の衆院選はなくなったと読むのだが、そうした常識は通じなくなる可能性がでてきている。

 政治家は、平時ではロジックの「政策軸」と情の「人間軸」の二つの座標軸によって行動パターンが読める。一般的には若い世代の政治家では「政策軸」の要素が大きい。年配の政治家では「人間軸」で考えがちだ。

 橋下氏と渡辺氏は、比較的「政策軸」がぶれずに議論してきた。ここに、石原新党の登場で、平常時モードから危機モードに変わったと思う。危機モードの時には、この二つの軸に、「直感」「実感」「大局観」という政治家の「反射神経軸」が加わると考えている(この三カンの反射神経は渡辺氏の十八番)。

 石原氏、橋下氏、渡辺氏はいずれも、自分で流れを変えられる政治家である。その政治家たちがが本能のおもむくまま、「反射神経軸」で行動したら、政治の一寸先を読むのは至難の業になる。ひょっとしたら、野合ではなく、大同小異、幕末の歴史をひもとけば、薩長連合になるかもしれない。

政策を信念で押し通す政治家は多くて2割

 とはいうものの、石原氏、橋下氏、渡辺氏はそれぞれカリスマある政治家で互いに議論もでき連携、協力関係もできるだろうが、政党としての連携を考えると、かなりハードルは高い。

 日本維新の会とみんなの党は、基本政策を11月末までにまとめることで合意している。これまでに両党が発表しているものを見てもかなり類似しているので、党のレベルでもまとまるだろう。問題はたちあがれ日本だ。さきに述べたように、かなり違っている。ただし、たちあがれ日本は与謝野馨氏が抜けたので、政策のうるさ方はいなくなった。

 これまで多くの政治家を見てきたが、ある政策について信念で押し通す人は1割から多くて2割、逆に本気で反対する人も1割から2割、後の残りは政策の賛否で特段の主張はなく大勢に流される。石原氏に白紙委任し個別政策である程度妥協すれば、石原氏、橋下氏、渡辺氏の間で基本政策・理念のレベルで合意する可能性はゼロとはいえない。

 問題は、これで有権者が納得するかどうかだ。野合なのか大同小異、薩長連合なのかは、カリスマ・トップの持っていき方次第であるが、はたして各人の発信力で批判を超えられるかどうか。石原氏は別としても、たちあがれ日本は旧来の自民党そのものとういう批判はある。幕末の薩摩のように倒幕に立ち上がれるか、どうか。

 ここに、第三極として、小沢一郎代表が率いる「国民の生活が第一」が加わると、もう訳がわからない。国民の生活が第一は、政策軸だけをみると、脱原発などで、表面的には日本維新の会やみんなの党と似てなくはないが、TPPや民営化では決定的に違うので、政策面で妥協は難しい。もっとも、石原氏が小沢氏とは絶対に組まないと明言しているので、小沢氏は別の第三極を目指さざるをえないだろう。

 いずれにしても「反射神経軸」の政治家は本能そのままなので、格好の観察機会になることは間違いない。

 筆者:高橋洋一(嘉悦大学教授)