端から見ると明らかな嘘にしか思えないのに、それにコロッと騙される人がいる。

例えば、空中浮遊ができるという新興宗教の教祖がいて、多くの人は胡散臭い手品でしかないと思っているのに、一部の人は「奇蹟だ」と驚嘆し、賞賛する。原発の事故に際し、放射能の恐怖を殊更に煽る人がいて、多くの人はデマゴキーだと思うのに、一部の人は「真実を教えてくれた」とありがたがり、信じる。グローバル化の時代もそうで、大変だ大変だと騒ぎ立てる一方で、そこから逃れる術をこっそり記しましたというような人の書いた本を、多くの人はマッチポンプだとバカにしているのに、一部の人は飛びついて貪り読むのである。

詐欺に騙される人も昔から多い。昭和の時代に、「自分はアメリカ空軍のパイロットだ」と名乗っていた日本人の結婚詐欺師がいて、どっから見ても日本人のおじさんが金髪に染めただけにしか見えないのに、騙された女性には白色人種にしか見えなかったという珍妙な事件まであった。あるいは、オレオレ詐欺はこれだけ喧しく注意喚起されているにもかかわらず、いまだに被害者が後を絶たない。

それ以前に、そもそも神話とか伝説とか、明らかな作り話であるにもかかわらず、それを信じ、頼りにしている人も多い。この現象は古代から現在に至るまで、途切れることなく連綿と続いている。

人はなぜ、嘘を信じてしまうのか? そのことについて、考えたことがある。
嘘つきの嘘に騙される人というのは、必ずしもバカで思慮の浅い人ばかりなわけではない。それ以外の部分はしっかりしているのに、なぜかある特定の嘘にだけは子供のようにコロッと引っかかるのだ。そのことが不思議で、どうしてそうなるかというのを突き止めたいと思ったのだ。

すると、そういう嘘に騙される人にはある共通点があるということが、次第に分かってきた。そしてそこから、「人間が嘘を必要とする理由」というようなものも見えてきたので、今回はそれについて書きたい。