ハックルベリーに会いに行く
世界的なプロダクトを生み出す日本の美的感覚:その51(2,321字)
ファミコンは、ある種「いびつ」なゲームハードだった。そこでは「選択と集中」が徹底的に行われた。グラフィックは徹底的に強化されたが、その分、音はあまり豊かとはいえなかった。インターフェイスにはこだわり抜いたが、その分、デザインは捨て置かれた。そういう、偏りと制限があるゲーム機だったのである。
しかし、その偏りと制限が――つまり「いびつさ」が、その後の独特な文化の醸成・発展に大きく寄与した。
初代ファミコンの歴史は、そのままゲーム進化の歴史と重なる。人類はそれまで、家庭用ゲーム機というものを経験したことがなかった。もちろんアタリはあったが、それは既存のおもちゃの列に並ぶ一過性のブームで終わってしまった。そのためファミコンは、明確にアタリとは別の方向性を目指した。そこで文化、あるいは産業を醸成し、アタリのように一過性のブームでは終わらないことを目標としたのである。
当時、任天堂の山内溥社長はその
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