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僕も長嶋茂雄ほど誤解されている選手もいないなぁと思っていました。
何処かの本で、実は長嶋茂雄ほど練習する選手はいないというのを見た記憶があり、それが長嶋茂雄の本質なんだなぁと思ったことがあります。
天才だとかカンピューダーだとかいうイメージは、その息子や娘達によって増強された感もあります。
ダイジャパンさんの件ですね
>最高の戦略は努力が娯楽化する事。そこには苦しみや辛さという感覚はなく、本人は全体を楽しいと感じている。苦しくなければ成長できないと感じている自分をまずは許す事から始めるべきだと思う。人生は楽しんでいい、そして楽しむ事自体が成功と言える。
>それで一流にはなれると思います。だけど超一流になると勝負所で「あんだけ苦しい思いをしたのだから」というエクスキューズが必要になることもあるんですよね。だから、「練習を苦しい」と思う気持ちもだいじなんです。ただやらされる苦しいかやる苦しいかでだいぶ違うでしょうね
一流が集まりしのぎを削る場所に、コンマコンマ一秒を縮める努力に、楽しさはない。何を背負っていたのか?走らされていたのか?。そして一流が故に感じる努力の限界。
やはりこの言葉から感じるのは、悔しさや、人生の光と影、心の矛盾、諸行無常です。苦しみや悔しさが溢れ出たこの言葉に、その背景に感じずにはいられない。やはり私はこの言葉に「感動をありがとう」と言いたい。そしてこの一流の泣き言に「お疲れ様」と私は言いたい。というお為ごかし。
「苦しむことそのものに意味がある」はその通りですね。私はどこかで苦しみから逃れたい気持ちから「楽しくなければ意味が無い」という考え方をもっています。苦しみが必要という考え方は、自堕落な私にはなかなか受け入れ難い内容ですが、私自身もよくよく考えてみると、苦しみを伴わない努力は成果も成長も無かった気がします。「楽しんでいる状態が最大限のポテンシャルを発揮している」という意識はほんとうに根強かったですね。まあ必要な苦しみとは向き合わなければいけませんね。自堕落な私にもやらなければいけない事はいくつかありますからね。
あと、この件で改めて感じたのは、一芸に秀でている人というのは自分の感性というもの大切にしていますね。これは岩崎さんも、ダイジャパンさんも共通している部分だと思います。ダイジャパンさんは「センス」という言葉で表現されていますが、岩崎さんが言うところの「勘」。
それにしてもダイジャパンさんは素晴らしい方です、彼の得意分野の考察はなかなか興味深いです。
・全力で試してみた経験が少ない人は、自分の範囲がわからない
・ハードルは転ぶ為にあって、転んだ高さを体感で覚える、それがセンス
・型か的か、その間を揺らぐ事が大切
・練習メニューの良し悪しを、自分が感じる快感で判断する
自分の絶対評価を他者の相対評価に合わせたり自分の相対評価を他者の絶対評価に合わせようとする「苦しい努力」は、表面上の「過程」ではわかりにくいけれども、重要なアスペクトでの「結果」という総合評価につながっているということでしょうか。
営業・サービス職でちゃんとご飯を食べている人は皆こんな感じですね。
普通です。
>>1
本人もそれを後押ししていたところがあるんですよね。
ですが今は、リハビリしている姿を積極的に発信されています。
長嶋茂雄さんは、時代に応じて求められる像を演じ続けようとしているんですね。
それについては一貫しているんです。
>>2
ダイジャパンさんは興味深い存在ですね。
彼は現代を象徴する存在だと思います。
ぼくとは微妙に意見が異なるのですが、感じている問題点は一緒です。
そして彼には人気があり、ぼくにはない。
いつか対談してみたいですね。
>>3
そうですね。
そこでは「結果」というより「到達」という表現が正しいと思います。
そしてそれは、自分でも到達感を味わえるし、また他人からも到達しているように見えるんですね。
自分と他者、絶対評価と相対評価という垣根を越えて、揺るぎない価値というのが顕現する地点というものがあるんです。それを到達というのだと思います。
>>4
営業・サービス職でやられているのも、苦しんでいる方と、苦しんでいない方がいるのではないかと思います。