今回も「道徳のアップデート」について書いてみたい。

最近、自分をリベラルと任じている保守が増えている。リベラルと保守の奇妙なねじれが加速している。
例えば、公衆浴場に入れ墨をしている人が入ることを認めるか認めないかという議論がある。外国人は当たり前のように入れ墨をしている人が多いので、日本のようにお風呂で「入れ墨お断り」というのは差別ではないか?
そういう問いかけに対して、自称リベラルの保守は「お風呂の経営者にも入れ墨を断る自由がある」と言ったりする。そうして、入れ墨のある人が公衆浴場に入ることを反対する。そういうふうに「差別すること」までをも自由だととらえている人が多いのだ。

そういう人たちが基本的に理解していないのは、そもそもこの世界には「自由などない」ということだ。人は自由を制限された中で生きている。自由を制限された中で、「最大限自由にするにはどうしたらいいか」ということを考えている