ハックルベリーに会いに行く
韓国人の友だちを作ろう!(2,414字)
あいちトリエンナーレ2019で、少女像の展示が取りやめた件について、論争が巻き起こっている。
これはしかし、ぼくは展示そのものが議論や融和ではなく「分断」を促すものとして見ている。そのことに、ぼくはとても良くないという感情を抱えている。今日は、そのことについて書きたい。
まずぼくは、今回の件をあいちトリエンナーレ2019の芸術監督を務める津田大介さんは、はっきりと予測していた、あるいは演出したと見ている。
彼は、数年前から何か恨みのようなものに突き動かされて、活動を先鋭化させていた。ぼくは、前には彼と親しかった時期があるのだが(2013年頃)、彼のサイトに左翼を批判する(同時に右翼も批判した)記事を書いてから、あからさまに無視されるようになった。そうして今は、完全に没交渉となっている。
ぼくは、津田さんは変節したと思っている。それは、彼の嫌いな安倍政権が長期化するに伴って、彼の中の憎悪が増幅されて、敵意がむき出しになってきたからだと思う。
しかし、彼が憎むべき相手は安倍政権ではない。その点で彼はポイントがずれているので、その恨みが晴れることはない。
実は、彼には本当の敵が見えていない。だから、仮に安倍政権が倒れたとしても、彼の恨みはぬぐえない。
津田さんは、そもそも答えを間違っているのではなく問いを間違っている。本当の敵は、安部さんではなく他にいるのだ(ちなみに津田さんの本当の敵は、彼の子供時代に彼を抑圧した彼の親や先生や社会だ)。だから、何をしたって彼のアクションは今の社会の問題を解決しえないのである。それどころか、かえってややこしくする結果となっているのだ。
少女像というのは、明らかに政治的な攻撃の意図がある。彼が言っている「表現の自由を守る」というのは詭弁だ。それよりも、少女像を敵視するような人たちを怒らせたかったのだ。それが最初から目的だった。つまり分断が目的だった。
少女像を敵視する人たちを怒らせて、彼らの行動をエスカレートさせる。つまり、彼らに問題行動を起こさせる。
そのことによって、自分の正当性を広く世間にアピールしようとした。それが彼の最初からの目的だった。だから、今回展示を取りやめたのは、完全に彼のシナリオ通りだったといえよう。
しかし、それで問題が解決するわけではない。なぜなら、この問題が厄介なのは、日本人だけはなく韓国人や北朝鮮人も絡んでいるからだ。彼らの国の少なからずの割合の人々は、日本を憎んでいる。しかしそれは、はっきり言って彼らの国の為政者に、そう仕向けられているだけだ。彼らは、そうやって民衆の不満を抑えようとしている。その術中にまんまとハマっているだけである。
そもそも、彼らがもはや日本を叩く正当性はない。なぜなら、彼らが叩いているのは今の日本――つまり朝鮮半島を侵略したときより後に生まれた人たちばかりだからだ。
これは、やっぱりどう論理的、あるいは直感的に考えても受け入れられない。たとえるなら、殺人犯の子供が賠償請求されるようなものだ。しかも、親が殺人を犯した後に生まれた子供なのにである。これに疑問を呈しない方がどうかしている。
だから、そういう韓国や北朝鮮の要求には、断固としてノーを突きつけるべきなのだ。その上で、親の世代が朝鮮半島に対して侵略を行ったことは認め、それを踏まえて新しく融和的な関係を築いていくよう努める。それしかない。
分断を促していたのでは、双方にとって良くない結果を招く。もしかしたら血が流れることになるかもしれないし、それ以前に心が傷つく。
今、安倍政権の長期化によって津田大介さんが傷ついている。そして、津田大介さんによって右翼が傷ついている。そして、右翼が反撃したことによって少女像の展示が中止になり、そのことによって左翼が傷ついている。
さらに、少女像の展示が中止になったことで韓国人も北朝鮮人も傷ついた。自分たちがバカにされたように感じた。そうでなくとも日本と韓国は今、戦後補償のことで揉めているので、韓国人はますます傷つくことになった。そうして、日本人に対する無用な怒りを募らせている。それで、傷つく日本人もまた増えた。
つまり、津田さんはかなり多くの人を傷つけた。彼の間違った問い立てのために、右翼も左翼も、韓国人も北朝鮮人も傷ついた。
これによって一番得をしたのは、韓国人と北朝鮮人を扇動している政治家たちだろう。彼らは、自国民が日本を憎めば憎むほど得をする。
しかし、その前に韓国と北朝鮮の政治家も苦しんでいる。なぜなら彼らの国自体が、それこそ1000年以上も苦しんでいるからだ。
なぜ苦しんでいるかといえば、彼らは地政学的に中国と日本の間にあって、双方から侵略されやすかった。第二次大戦後にアメリカとソ連の代理戦争で国が分断されてしまったのもそのためだ。おかげで、今でも大きな悲しみの中にいる。
そういうふうに傷ついているから、たとえ正当性はなくとも、戦後に生まれた日本人を傷つけないと気が済まないところにきているのだ。
だから、今必要なのはお互いを慮ることだ。そして許し合うことである。その上で、これから融和的な関係を築いていくことだ。友だちになることだ。
これからの社会は、もはや科学の進歩で衣食住が足り、全ての人口を養っていけるようになった。戦争や侵略をする必要はもうない。その意味で、今は全員がする必要のない喧嘩をしているのだ。
それは、無用なメンツにこだわっているからだ。確かにメンツがだいじなときもあるが、今のこの喧嘩においてはあまりにも無用と言わざるをえないだろう。
これは、何も津田大介さんだけに言えることではない。全ての人がメンツを捨てて、相手を許し、融和的な関係を築くべく、働きかけていくということがだいじなのだ。
ぼくはこれから、韓国人の友だちを作るつもりだ。韓国人だけではなく、本当は北朝鮮人とも友だちになりたいが、現実的に国交がないので、まずは韓国人と仲良くしていきたい。
そうすることで、微力ながら融和の一助を担っていきたい。みなさんも、韓国人の友だちを作ろう!
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コメント
コメントを書く私が大連に語学留学していた頃ですが、北朝鮮の留学生もいらっしゃいました。日本料理であるお好み焼き屋さんでアルバイトをされていたりして、日本では考えられない距離で接点があり、とても貴重な環境だったと思います。
また、中国で知り合った韓国の友人とはとても深い付き合いが続いています。お互い外国で頑張っているという共感もありましたね。
今回の記事を読んで、北朝鮮、韓国、日本のいずれとも国交のある中国はその意味でとても良い環境なのだなと思いました。
すばらしい文章。公開してくださってありがとうございます。
>>1
素晴らしいですね!中国の人はその意味で恵まれていますね。
>>2
ありがとうございます!