「掃き溜めに鶴」という言葉がある。掃き溜めに鶴がいると、一瞬「美しさが強調されそう」と考えるものだが、しかしよくよく考えてほしい。実は鶴も、掃き溜めより美しい田園風景にいた方が「映える」。掃きだめに鶴がいても、人はあまり美しいと感じないのだ。

「醜いアヒルの子」の寓話にもあるように、美しいものは醜いものの中にあっては逆に目立たない。美しいものは、美しいものの中にあってこそその美しさをより輝かす。
だから、清貧の時代に美しくあるのは、実はそれほど難しくない。なぜなら、田園の中の鶴のように、より美しく輝けるからだ。

しかし、富める時代に美しくあることは、「掃き溜めに鶴」で、あまり目立たない。そのため、費用対効果がきわめて悪い。文字通り「醜いアヒルの子」になってしまう。

そのため、美しいものは貧しい時代より富める時代の方が価値が高いのである。だから、富める時代――すなわちバブル時代の美しいものに