閉じる
閉じる
×
今の社会は「市場」を抜きには考えられない。昔、まだ人間の集団最大人数が30人くらいだった頃には、市場はなくても良かった。しかし、現代で生涯を30人としかかかわらないで生きることは不可能――特に日本では無理なので、ここでは市場というものは「ある」という前提で考えていく。
さて、ここできつい言い方になるが、「市場価値」のない人間はこの世に生きることを許されない。積極的に殺されるわけではないが、社会からつまはじきになってしまい、遠からず死が待っている。それは「孤独死」や「自殺」だったり、あるいは野垂れ死にだったりする。いうなれば、消極的な殺人だ。
建前的には、そういう消極的に殺される人たちにも「基本的人権」があることになっているが、それはあくまでも建前であって、実際は違う。毎年何人もの人が孤独死するし、自殺するし、野垂れ死ぬ。なぜなら、彼らは「市場価値」を失ったからだ。そして社会は、市場価値を失
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
入会して購読
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
コメント
コメントを書く
本日も興味深いお話ありがとうございます。
笑い話のようでもありますが、孤独になってる人って毎回同じ愚痴とか自慢話をしている印象ありますね。
孤独だから同じ愚痴や自慢話をしているのでなく、同じ愚痴や自慢話をしているから孤独になっているってことですね。
岩崎夏海(著者)
>>1
そうなんです。そこがぼくには目から鱗でした。