ハックルベリーに会いに行く
マンガの80年代から90年代までを概観する:その25(1,570字)
赤塚不二夫は60年代の中頃から後半くらいまでの3年間が絶頂だった。しかし70年の音が聞こえるくらいにはもう衰退していた。
なぜかといえば、まず世の中の雰囲気が一変したということがある。とにかく大学紛争一色に塗りつぶされた。特に69年は東大安田講堂事件もあって受験までもがなくなった。そういう騒然とした雰囲気に、「もはや赤塚不二夫の寛容主義は笑えない」という価値観が世の中に蔓延していった。
それで、代わりに殺伐とした空気が支配するようになった。エゴグロナンセンスが世の中の大勢になった。そこで鮮やかに登場したのが永井豪であり、次にジョージ秋山だった。
永井豪は1945年の生まれ。ジョージ秋山は1943年の生まれで、団塊の世代より少し年上である。2人とも「戦争を知る子供たち」だ。だから、団塊の世代が中心だった大学紛争には与しなかった。2人はむしろ、戦う学生たちを冷ややかな眼差しで見つめる「子供たち
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