大谷翔平くん(なぜか「くん付け」がしっくりくる)がMVPを獲得したが、ぼくは複雑な気持ちにさせられた。なぜなら、ぼくはまさに彼の活躍をきっかけに、自分の中に新しい価値観が萌芽していることに気づいたからだ。

というのも、彼の活躍を素直に喜べないぼくがいるのだ。なぜかというと、理由は一つで彼の遺伝子が恵まれていることによる。彼は、野球選手として類い希なる先天的才能を有している。そのことに、ぼくは複雑な気持ちにさせられるのだ。

なぜ複雑な気持ちにさせられるかというと、それは現代の「差別」につながるからだ。才能のある大谷くんを褒め称えるのは、才能のない他の選手をけなすのと一緒である。それで、大谷くんを素直に褒められない。

この論理はしかし、まだ多くの人には理解してもらえない。なぜなら、けなすことは誰かを傷つけるので良くないが、褒めるのは誰も傷つけないのでいいではないか、と考える人が多いからだ。