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トニー谷は、1950年頃に急激に人気が出た。戦後5年だ。ところが、1955年頃(戦後10年)になると、もう人気が下がっていた。
きっかけは、朝鮮戦争の特需によって、1954年から高度経済成長が始まったことだ。これによって、世の中があっという間に豊かになった。それに伴って、ニヒリズムは以前ほどもてはやされなくなった。若者たちは相変わらずニーチェを信奉していたが、それ以外の人々からは厭世気分が一気に薄れ、もっと明るく、楽しいものが求められるようになった。
そうした世間の声に呼応して、トニー谷と入れ替わるように時代の寵児になったがハナ肇とクレイジー・キャッツ(クレイジー・キャッツ)だった。特に、その中心メンバーである植木等だ。
クレイジー・キャッツは、60年代に一世を風靡した。特に、その代名詞ともなった「無責任」という価値観が、当時の日本国民の心を貫いた。
実は、これはほとんどの人が(あるいは植
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