北澤楽天も若い頃はそれなりに反骨精神があり、風刺精神も持ち合わせていたが、中立の立場を貫く時事新報に長くいたことで、その牙は徐々に失われていく。そうしてやがて、社会の中の「おかしみ」に目を向け、それをふざけ半分に茶化していくことに自分の生きる道を見出していった。当時はそれが求められていたということも大きかっただろう。

楽天は1876年(明治9年)の生まれだが、16歳の1894年(明治27年)に日清戦争が起こる。ここで日本の国体はあらかた固まった。ここから明治政府の権力がどんどんと強まっていく。

時事新報の創刊は1882年(明治15年)で、つまりは国体が固まったあとに始まったのだ。だから、なおさら中立でいる意味は大きかった。それが当時の社会情勢ともマッチしていたのだ。

楽天がそこに加わるのは1899年(明治32年)である。23歳のときだが、このときの社会情勢はさらに明治政府寄りになっていた。