ハックルベリーに会いに行く
庭について:その20(1,625字)
チャールズ・ブリッジマンという造園家がいる。1690年の生まれで1738年に亡くなった。
彼は、これまで見てきたウィリアム・ケントやランスロット・ブラウンよりも先に、非幾何学的な庭を志向し、造った。その意味では、ケントやブラウンの先駆的存在だ。しかも、彼らと一緒に仕事もしたので、ある意味師匠的な存在ともいえる。
ただ、その記録があまり残っていないので、具体的にどういうことをしたのか、よく分かっていない。そのため、ケントがイギリス庭園史の父、ブラウンが子だとすると、ブリッジマンは祖父ともいうべき存在だ。始祖ではあるが、若干隠れた存在である。
それでも、ブリッジマンは確かに「非幾何学的な庭」の爪痕を残した。彼がその道を切り開かなければ、ケントやブラウンもそこに続けなかったかも知れない。
このブリッジマンの残した明確な爪痕の一つが「ハハー」である。「ハハー」とは、庭と周囲との垣根を取り払って、そ
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