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多くの人はいまだに国家という共同幻想にとらわれている。この状況はこの先、どうなるのか?
ぼく自身の経験から考えると、昔はぼくも「国家」という共同幻想を何の疑いもなく信じていた。特にオリンピックなどでは自分が日本人であるということを強く意識した。日本に住み日本語を話すぼくの人格には、日本という国家の影響が絶大であると感じていた。
しかし長じるに連れ、その意識は徐々に薄れていった。なぜ薄れていったかといえば、やはり「知識」を得たからだろう。人間の成り立ちや構造、歴史、あるいは科学的な生命としての在り方を知ることによって、国家が幻想であるということに徐々に気づかされていったのだ。
そうして今では、「日本人」という自覚はほとんどない。意識的には、人間という自覚もなくなった。単に宇宙の一部なのだと感じるのみである。
そういうふうに、知識を得ることによって日本人という意識はおろか人間であるという意識す
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