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19世紀に入ると、評論家であったウィリアム・ギルピンの影響などによって、ブラウンの庭は批判の対象とされていく。それは、ブラウンの庭があまりにも「分かりやすい」ものだったからだ。「映え」が過ぎている……というわけだ。
18世紀初頭、イギリス式庭園はローマ廃墟への憧れから始まった。ローマの廃墟に「萌え」たのだ。その萌えの要素を人工的に再生しようとし、さまざまな試みが為された。
ところが、そうしていくつも庭を造っていく中で、「萌え」は次第に後退し、代わって「映え」が前面に押し出されるようになった。それは、「萌え」が人工的に再生しにくかったのに対し、「映え」は造りやすかったこと。
また、貴族にとっての庭が「見せびらかすもの」となったため、多くの人にとって分かりやすくある必要があったからだ。
「萌え」はオタクにしか分からないが、「映え」は誰でも分かるものだ。現代でも、カメラは最初は一部のオタクの趣味
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