ハックルベリーに会いに行く
庭について:その31(1,852字)
造園家でありながら評論家としての仕事が主となっていったジョン・ラウドンは、時代が進むに連れて「映える庭」に価値を感じるようになり、ハンフリー・レプトンを再評価した。また自らは、世界中の珍しい花々を収集し、それをいかに庭に飾って映えさせるかということに腐心した。それが「ガーデネスク」というわけである。
そこでは、やがてピクチャレスクが批判の対象となっていった。なぜかというと、「高度なピクチャレスク」は「自然が放置された状態」と変わりないので、人々にはその価値が分かりにくいからだ。これは全くその通りで、誰にも反論できるものではなかった。
ただし、18世紀末までなら、分かりにくかったらそれは「分からないやつが悪い」となった。しかしここまで見てきたように、産業革命の恩恵で庭は19世紀に入ると一気に大衆化した。それは、勉強するのが義務だった貴族だけのものではなくなった。
そうして19世紀に入って20
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