ハックルベリーに会いに行く
庭について:その63(1,940字)
千利休は日本芸術史におけるスーパースターだ。松尾芭蕉らと並んで、その名前を知らない者は現代でもいない。利休が完成させた茶の湯の一つである「佗び茶」は、現代にも受け継がれている。だから、利休といえばまず「お茶」の人である。
しかし実は、それと同時に「建築」の人でもあった。なぜなら、茶の湯を完成させる上で、茶室というのはなくてはならないからだ。茶の湯に茶室はつきものである。その意匠を凝らすことは、茶の湯の重要な営みの一つだ。むしろ「茶室を作ることこそ茶の湯の本懐」といってもいい。
従って、建築こそが茶の湯のメインなのである。実際、利休も茶の湯を究める過程で建築を極めていった。彼の作り出した茶室の意匠は、現代にも脈々と受け継がれる、世界に誇れる大芸術である。
ただし、利休本人が作ったとされる茶室はほとんど現存していない。唯一「待庵」だけが確認されているのみだ。
では、利休はどのように茶室の意匠を
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