• このエントリーをはてなブックマークに追加
石原莞爾と東條英機:その36(1,686字)
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

石原莞爾と東條英機:その36(1,686字)

2024-02-19 06:00
    張作霖爆殺事件の後、日本陸軍の陰謀だったことが、やがて張作霖陣営はもちろん、満州の一般人にさえ知られるようになった。しかし陸軍及び日本政府は、その事実を最後まで否定した。その一方で、陰謀の首謀者であった河本大作を左遷し、またその責任を取って田中義一内閣が総辞職するなど、ちぐはぐな事後処理となった。

    それで、陸軍の仕業だったということはもはや公然の秘密になる。おかげで、満州の日本に対する反発はかつてないほど高まった。すると、その後押しを受けて張作霖の息子である張学良が、父の軍閥を引き継ぐ。

    しかも張学良は、中国と協力体制を取り始める。父の張作霖は、中国とも対立し、満州の独立を目指していた。そのため日本にもつけいる隙があったのだが、張学良がその中国と手を結んでしまったため、日本の満州での影響力はさらに低下せざるを得なくなった。これが1928年のことである。

    一方その頃、日本では二葉会、木曜会、
    この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
    ニコニコポイントで購入

    続きを読みたい方は、ニコニコポイントで記事を購入できます。

    入会して購読

    この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。

    コメントを書く
    コメントをするにはログインして下さい。