岡山城の周囲は、もともとあった川をねじ曲げてお堀としたため、たびたび氾濫に見舞われていた。それを、別の川を放水路として設けることで緩和し、おかげで湿地帯だったところが使える土地になった。それで、藩主は喜んでそこに庭を作った。そういう物語を持っている。

ときは1687年である。江戸開闢からすでに90年近くが経過して、戦はもはや過去のこととなった。攻めてくる敵はいない。一方、経済や文化芸術の発展はだいじだ。
そこで、安全になった城の外に、経済発展と文化芸術の促進を兼ね備えた庭を作ることが大名の間で流行った。いわゆる大名庭園である。

その大名庭園の中でも、代表的なのが兼六園、後楽園、偕楽園なのだ。この3つの庭園は、建設当時から評価が高かった。後楽園も、文句なくできがよかった。それで、自然と守ろうとする気運が高まり、現代にも受け継がれている。

大名庭園の最大の魅力は「権威」だと以前に書いた。権威は