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1994:その54(1,959字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
7ヶ月前
1994年とは何だったのか?それは古い時代の終わりの年だった。「The end of the old ela」である。また、「新しい時代の直前」ともいえる。いうならば「夜明け前」だ。そのため、不気味なくらいに静かな、平穏な年でもあった。しかし予兆はそこかしこに現れていた。特に携帯電話の普及が急速に広がったのが、今となって...
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1994:その53(2,137字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
7ヶ月前
ニューヨーク旅行で今でも覚えていることを思い出すままにつらつらと書き連ねてみたい。秋元康さんに、80年代のアメリカ映画に出てくるようなニューヨークの最高級フレンチレストランに連れていってもらった。そこでは前菜に250グラムぐらいある巨大なフォアグラが出て、ぼくはフォアグラそのものを食べたことがなかった...
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1994:その52(1,652字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
7ヶ月前
1994年1月1日、時計の針が0時を回るその瞬間は、秋元さん、察男さん、吉野さん、Oくんの5人でカジノで迎えた。そこでルーレット卓を囲みながら、店のスタッフと周囲の客とが発するアメリカ式のカウントダウンを聞いた。そうしてぼくはいよいよこの連載の主題である「1994」年に突入した。そんなふうに、ぼくは1994年をバ...
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1994:その51(2,096字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
8ヶ月前
バハマに着いてからのぼくはルーレットと美食の日々だった。昼の12時くらいに起きると、みんなとランチへ行く。その後ホテルに帰って夕方までルーレット。夕方になるとまたみんなでご飯に行く。ご飯から帰ると、また朝までルーレットだった。ぼくが着いた日の翌日、秋元さんの運転手のOくんも合流したから、ぼくたち一行...
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1994:その49(1,888字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
8ヶ月前
ぼくは1993年のクリスマスに日本を飛び立ち、まずはニューヨークへ行った。そこでバハマ便にトランジットするためだ。その行きの便は、ぼく一人だった。秋元さんをはじめとする諸先輩方は、その前日のクリスマス・イブにすでにバハマに向けて旅立っていた。なぜぼくだけ遅れたかといえば、クリスマス・イブの日にどうし...
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1994:その48(1,694字)
コメ1
ハックルベリーに会いに行く
8ヶ月前
そろそろこの連載も終盤に近づいてきた。1994年は今から31年前である。そのときぼくは26歳だった。26歳になる年だった。その年に何が起きたのか、振り返ってみたい。ぼくは1991年に大学を卒業して社会に出た。秋元康さんの会社で最初の1年はADをしていたが、1992年度つまり1992年の4月から放送作家見習いに転籍して働き...
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1994:その47(1,735字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
9ヶ月前
先日たまたま逮捕されたが広末涼子は自身が女子高生のときポケベルのCMをやっていて、それが当時話題となった。1996年のことで、広末は16歳であった。このCMをきっかけに、女子高生がポケベルを持つということが一般的になった。だから、その2年前の1994年はまだ女子高生がポケベルを持つには早かった。この頃は働いてい...
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1994:その46(1,770字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
9ヶ月前
今考えるとぼくがケータイを持ち始めたのが1994年だった。そして1994年は最初の妻とつきあい始めた年でもある。つまりぼくにとってはケータイと恋愛が強く結びついていた。そういう人間は、ぼくだけではなかったはずだ。ぼくは26歳だった。25歳までつまり1993年まではケータイのない生活だったが周囲の諸先輩はすでにケ...
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1994:その45(1,931字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
9ヶ月前
この連載もいよいよ1994年の核心部分に近づきつつある。何度目かの言及になるが、そもそもなぜ1994年をテーマにこの連載を書き始めたかといえば、1995年が時代の大きな転換点だったからだ。そして、その転換点を知るには、転換後の1995年以上に、転換前の1994年を知ることが重要だと思ったからである。1995年は、阪神淡...
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1994:その44(1,729字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
9ヶ月前
1990年代になって、突如「恋愛ブーム」が始まった。それまでも若者たちは恋愛していたが、それとは違った形の恋愛が、90年代になって急速に広まったからだ。そしてそれに、ほぼ全ての若者が参加した。そのブームの兆しは、70年代後半にまで遡る。70年代後半にラブコメブームが巻き起こり、中高生の恋愛が一般的になった...
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1994:その43(1,637字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
10ヶ月前
1990年前後に「月9」というブーム(ブランド)が生まれ、ふくらんでいった。1990年代の半ばには支配的になって世間を席巻する。それはまさに「テレビの時代」だったともいえよう。そしてテレビの時代の中心にいたものこそ「月9」だった。それがバブル崩壊や『ちびまる子ちゃん』の隆盛、あるいは音楽ブームと同時に起こ...
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1994:その42(1,853字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
10ヶ月前
おニャン子クラブは、1985年4月にデビューし、1987年9月に解散する。わずか2年半の活動であった。ただし、シングルレコードオリコン初登場連続1位記録は継続中であった。さすがに絶頂期は過ぎていたが、しかしまだまだ人気は保っていたのだ。それでも解散に至ったのは、母体となっている「夕やけニャンニャン」の視聴率...
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1994:その41(1,863字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
10ヶ月前
おニャン子クラブは1985年にデビューすると、瞬く間に国民的な人気を獲得する。グループとしてはもちろん、そこから数々のメンバーやユニットがソロとしてレコードデビューし、毎週のようにシングルを発売する。すると、そのことごとくが大ヒットを記録し、オリコンの週間1位になる。1986年、オリコンのシングル1位は46...
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1994:その40(1,793字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
10ヶ月前
松田聖子や中森明菜、小泉今日子など、当時は単なるアイドルにしか思っていなかったが、今振り返ると若者たちをリードし、それによって社会を大きく変えていった。彼らの存在が、文字通り「時代」を作っていった。「歌は世に連れ世は歌に連れ」というが、誠に真理である。アイドルは時代の要請によって生まれるが、その...
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1994:その39(1,825字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
11ヶ月前
松田聖子は当時は単なるアイドルあるいは芸能人として社会的には軽視されていたが、今考えると実に巨大な社会的アイコンであった。松田聖子の真に偉大なところは、無数の若い女性フォロワーを生み出し、日本の文化――特に恋愛文化を大きく変化させたことである。当時の松田聖子は、若い女性に巨大な影響力を持っていた。...
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1994:その38(1,553字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
11ヶ月前
1990年かそれより少し前辺りから、新しい「若い女性」というものが出てきた。80年代前半は松田聖子に代表されるかわいい「ブリッコ」が若い女性としてほとんど唯一の価値だった。顔がまずいと「ブス」と呼ばれ、それだけで社会における価値は大きく下落した。まだ今のような女性に対する人権意識は社会の中になかった。...
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1994:その37(1,854字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
11ヶ月前
『おどるポンポコリン』は1990年暮れにレコード大賞を獲得する。このときがヒットの絶頂であった。この曲がエンディングテーマになっていたアニメ『ちびまる子ちゃん』の視聴率も、同年10月28日に39.9%を記録し、これが番組としての歴代一位であると同時に、全てのアニメの中でも歴代一位となった。この記録は、今後永遠...
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1994:その36(1,673字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
11ヶ月前
『クリスマス・イブ』と『ちびまる子ちゃん』は実は全く同じ時期にヒットしている。牧瀬里穂のCMが国民的ヒットとなったのが1989年暮れ。そして『ちびまる子ちゃん』のアニメがスタートしたのは、その数週間後の1990年1月7日である。これは偶然ではない。両者はともに、当時の世の中をビビッドに反映していた。だからこ...
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1994:その35(1,835字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
11ヶ月前
山下達郎の『クリスマス・イブ』という曲がある。この曲は、90年代を「代表」していたのではなく、ある種「支配」していたのではないだろうか。なぜかといえば、当時は「恋愛の時代」だったが、恋愛が最も盛り上がるのがクリスマス・イブだった。そしてクリスマス・イブの定番曲として、文字通りこの『クリスマス・イブ...
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1994:その34(1,637字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
12ヶ月前
1994年は今年2024年のちょうど「30年前」だ。しかし2024年はもうすぐ終わってしまうので、やがて「31年前」ということになる。ぼくはもともと1994年を舞台に小説を書きたいと思っていた。だから1994年について調べ始めたのだが、調べるのが終わらなくなってしまった。1994年を知るにはその前の1980年代のバブルを知らな...
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1994:その33(1,829字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
13ヶ月前
1988年初頭のときのぼくの学年を、前回「大学二年」と書いたが、正しくは「大学一年」であった。ぼくが大学生に入ったのは1987年4月で、その年の7月に19歳になっている。だから、1988年初頭はまだ19歳の未成年だった。その未成年最後の冬に、武蔵小金井駅のキオスクで買った「漫画アクション」誌を、東京行きの中央線を...
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1994:その32(1,794字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
13ヶ月前
大学生のとき、中央線の武蔵小金井駅近くの祖父母の家に下宿していた。大学は上野にあったので、そこから40分くらいをかけて通学していた。ぼくは大学は現役で国立に入ったし、下宿先は祖父母の家なので、その点では全くお金のかからない子供だった。時代はバブルだからなおさらお金がかからなかった。大学時代のぼくは...
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1994:その31(1,643字)
コメ1
ハックルベリーに会いに行く
13ヶ月前
ぼくは「文化」が好きだ。バブルの頃(学生の頃)もやっぱり文化が好きで、可能な限りそこに浸っていた。特に当時のぼくは、人生の中で一番暇だった。お金はなかったが時間だけはあった。だから、それを活かして可能な限り文化に浸った。それゆえ、一般よりは深く文化にかかわったといえるだろう。ぼくが大学生だったの...
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1994:その30(1,765字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
13ヶ月前
ぼくの大学時代は1987年から1991年だ。バブル崩壊が1990年の暮れからだから、ちょうど大学4年の卒業間際に崩壊したことになる。逆にいうと、大学4年生まではバブル絶頂だった。つまりぼくの大学生活はまるまるバブルの中で過ごしていたのだ。当然、就職活動期間もバブルの真っ只中、というよりも崩壊直前の絶頂期だった...
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1994:その29(1,723字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
14ヶ月前
1980年代後半、つまりバブル期の「受験」はどうだったか?ぼくは1987年に受験した。つまりバブルのちょうどど真ん中で受験したことになる。当時はまだバブルという言葉もなかったからそんなことはちっとも分からなかったが、今から思うと当時はまだのどかな雰囲気が漂っていた。受験生はぼくから見るとみんな「ゆるく」...
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1994:その28(1,629字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
14ヶ月前
昔は「なぜヤンキーが生まれるのか?」などということは考えたこともなかったが、今なら、それを構造的に読み解くことができる。彼らには時間がなかった。中学あるいは高校を卒業すれば働かないといけないという枷があり、遊べる時間が限られていたのだ。だからどうしても遊びは過激な方向へ流れた。同級生には大学に進...
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1994:その27(1,641字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
14ヶ月前
ぼくはバブル時代というのは1994年に強く影響していると思う。バブルはだいたい1985年に始まり1991年に終わる。約6年間の狂騒だった。そしてその終焉は、ある日突然起こったわけではない。段階的、なし崩し的にずるずると終わっていった。そのため、1994年にはまだその残像、残響、残滓というものが多数あったのだ。社会...
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1994:その26(1,698字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
14ヶ月前
1980年代後半に「おニャン子クラブ」ブームが到来する。これはぴったりバブル経済とシンクロしている。おニャン子クラブは1985年4月にデビューし、1987年9月に解散する。たった2年半の活動でしかなかった。しかし時代に強烈な爪痕を残した。おニャン子クラブは『夕やけニャンニャン』というテレビ番組を母体としている。...
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1994:その25(1.866字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
14ヶ月前
1983年4月、フジテレビの深夜番組として『オールナイトフジ』がスタートする。世の中は夕ぐれ族の話題などもあってちょっとした女子大生ブームだった。まだ本格化していなかったが、バブルはすでに始まっていた。若者の誰も彼もが遊びほうけるような時代がすでに始まっていたのだ。なぜこういう時代が始まったのか?1970...
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1994:その24(1,601字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
15ヶ月前
1080年代のはじめに女子大生ブームがあった。これはバブルの始まりで豊かになった親が自分の娘を女子大に入れ始めたのがきっかけだろう。これに呼応して女子大もまたいっぱいできた。1970年まで女子大はあまりなかったが1970年代になって急に増えるのだ。団塊の世代で女子大に行った人はあまりいない。女子大に行ったの...
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1994:その23(1,620字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
15ヶ月前
1994年、日本の中心は渋谷だった。渋谷が文化の発信地で、けっして大袈裟ではなく老若男女にとって注目の的だった。中でも若者にとっては一種の聖地だった。当時の社会における若者に対する注目度はきわめて高く、経済も若者中心に回っていた。だから若者の街渋谷は「経済の中心」でもあったのだ。1990年代は渋谷が最も...
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1994:その22(1,749字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
15ヶ月前
なぜ1994年のことを書こうと思ったかといえば、それが1995年の前の年だからだ。1995年はなにしろ阪神淡路大震災とオウム真理教事件があったので、人々の記憶に今も鮮やかに残っている。ここが日本社会の一つの転換点だった。ここから失われた30年が本格化した。最も景気が悪かったのが1997年頃だ。出版界の売上げのピー...
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1994:その21(1,633字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
16ヶ月前
桑田佳祐と松任谷由実という二人のシャーマンの存在で、1980年を境にした日本の恋愛事情の急激な変化というものが見えてくる。松任谷由実に『埠頭を渡る風』という歌がある。ユーミンの代表曲の一つだが、この曲が全く売れなかった。発売したのは1978年10月である。『勝手にシンドバッド』が1978年6月だから、その半年後...
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1994:その20(1,752字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
16ヶ月前
桑田佳祐はやはりすごいと思う。「歌は世に連れ世は歌に連れ」というが、彼こそはまさに時代を先取りしたシャーマンだった。ユーミンが「世に連れた歌を歌う存在」ならば、桑田佳祐は「世を連れさせる歌を歌う存在」だった。桑田佳祐が歌った歌を追いかけるように、世の中が変化していくのである。桑田佳祐は時代を完全...