
石原莞爾と東條英機:その76(1,869字)
石原莞爾はかねてから日本の中国への侵攻に反対していたため、陸軍の中央部から煙たがられた。それで、1937年の10月に東京の参謀本部長から満州の副長官に転属になった。
これは、中央から移されたという意味では左遷でもあったが、しかしそれでも満州は日本の要衝だったので、必ずしも悲観するような人事ではなかった。依然として、石原は陸軍の要職にいた。
それに満州は、石原が脚光を浴びるきっかけともなった満州事変の当地であった。石原は満州が好きだったし、満州も石原が好きだった。
しかし満州には大きな遺恨が形成されつつあった。それは、本来は単なる外国人である日本人が、満州人より威張っていたからだ。これは、軍人はもちろんだが役人や民間人もそうだった。
満州は、対外的には独立国で、日本とは対等の立場ということになっていた。このことは、日本が諸外国に最も強調しなければならないポイントだった。
それなのに、満州の日
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