どうも、ブログの更新が滞っております。
ここしばらく多忙であったせいもあるのですが、正直、気の乗らないテーマで筆が鈍っていた、という側面もあります。しかしいつまでも放置しているわけにも行きません。
というわけで今回のテーマはこれです。
平成トンデモ人物列伝
と学会の元会長は論理を解さない
山本弘(心はいつも十五歳)
トンデモ度―★★★★★
危険度―――★★★★★
独創度―――
有名度―――★★★★★
基本的に、ぼくは「と学会」の著作のファンでした。
懐疑主義的にオカルトを楽しむという方法論を広く世に知らしめたのは間違いなく本会ですし、その功績は決して小さくない(近年のテレビのオカルトの採り挙げ方って、完全にそうですもんね)。
もう一つ、SF大会での催しを発祥とする本会は、ずっと「オタクの一団」という性格を持ち、またそれを対外的にアピールしてきた。オウム真理教を「悪のオタク」と形容していいかはわかりませんが、下手をすればそう解釈され、世間でオタクバッシングが始まりかねない時期に、カウンターとしての「正義のオタク」の役割を果たすことで、本会は世間に認知された、と言えましょう。90年代、彼らはオタクが市民権を得るために、大いに貢献してくれたのです。
それ以上にぼく自身、本会にそれなりに大きな影響を受けています。本ブログの主旨自体が「トンデモ本にツッコミを入れる」ものであると言えなくもないですし、文体もまた、今にして思えば影響を受けていると感じます。
その意味で、ぼくも本会に対する批判は余りしたくはないのですが……とは言え、最近、目に余る行動を取る人も多い。クララ・キィン師匠や原田実師匠のトンデモさんぶりは今までも指摘してきましたが*1、本稿では本会の総大将、長らく会長を務めてきた山本弘師匠を俎上に上げねばなりません。
山本さん、『トンデモ本の世界』の頃はけっこう好きだったんだけどな……原田実と同じく、遠いところに行ってしまったような気がする。ぐすん。(『世』220p)
え~と、ちなみに本稿では端々に『トンデモ本の世界』シリーズに書かれていた文章のもじりを入れていきたいと思っています。赤文字で書かれた部分はもじり、或いはそのまま転用したものですので*2、そういうことで、ヨロシク!(『逆』91p)
*1 原田実師匠は「ガンダム事変(*9参照)」の時に加野瀬未友の方に分があるとの旨の発言をしたことがあります。たまりかねてメールで事情をご説明したのですが、お返事はいただけませんでした。
また、彼は『正論』で執筆していたのですが「フェミニズムを批判する」との編集部の意向に反発し、執筆を降りたと述懐していたこともあり、フェミニズムに対して妄信を抱いているようです。
それ故(と言うべきか、にもかかわらず、と言うべきか)彼はピル神の重篤な信者であり、彼女の「碧志摩メグバッシングの元凶はフェミニストではなく武田邦彦氏だ」とのデマを真に受けていたこともあります。これらを見る限り、彼は文献を読解する能力が根本的に欠落しているとしか判断のしようがないのですが、そんな人が偽史の研究なんてやって、大丈夫なんでしょうか……。
クララ・キイン師匠については、伊藤文学が小学生の子供とのセックスを推奨していることを指摘したところ、「彼に近い人と知りあいなので確認を取ってみる」との返答をいただいたことがあります。が、とんと返事がなく、どうしたのだろうとツイッターアカウントを確認してみると、見事にブロックされておりましたw
「都合の悪いファクトはシャットアウトする」。それがと学会の本質のようです。
*2 引用に付された略号はそれぞれ『世』→『トンデモ本の世界』(文庫版)、『逆』→『トンデモ本の逆襲』(文庫版)、『R』→『トンデモ本の世界R』、『と学会年間ORANGE』→『年』。
フェミニズムは全ての人に優しい世界を作る運動
山本弘師匠については、今までも思うところはありました。
科学についての発言は恐らく信頼できるだろうし、本人もいわゆる悪人ではなく、善人だろう。ただしその正義感は、それこそ15歳レベルの生硬で薄っぺらなもの、ある意味では年配の人間が「オタク」と聞いてイメージする、「人間的な厚みのない頭でっかちな学級委員長」そのままの人だなあ……といった辺りが、ぼくの彼についてのイメージでした。それは「と学会」の本を読んでいても時々顔を出すものではありますが、本稿ではそこまでツッコミを入れている余裕がありません。先を急ぎましょう。
ここしばらく、多分この一年くらい、山本師匠は幾度かtwitterやtogetterでぼくに絡んできました。申し訳ないけれども大変幼稚なものばかりで、こちらも反論したのだけれども、この人、言いっ放しで対話はしないのですな。
その集大成とも言えるのが、ぼくがまとめた「出産で死ぬ確率は二万人に一人」でのことです。詳細は読んでいただきたいのですが、どじんさんが「出産で死ぬ確率は二万人に一人」という数字を出し、「大変であることは認めるが、命懸けというほどのものではない」との指摘をしたところ、女性陣からの情緒的なバッシングに遭ってしまった、というもの。ぼくがそれをまとめ、私見を述べたところ、山本師匠が攻撃を加えてきたのです。
「と学会元会長」の英雄的な山本弘像を知る者であるならば、例えば「二万人に一人」といった数字に対してデータを示して冷静な反論を加える姿を夢想したくなります。が、大変残念なことに師匠はひたすらヒステリックにこちらを罵り、情緒的に女性側に寄り添い、また、自分が妻の出産に立ち会った体験を絶対視し、振り回すばかりでした。いえ、数字も出してきたには出してきたのですが、それが「百年前は命懸けでした」という文脈上、何ら意味を持たないもの。そしてまた、相手の上げる数字に対しては「数字しか見ないとは許せぬ」という、支離滅裂なことを言い出す始末。
他にも、山本師匠の「反論」のほとんどは、文脈的に間違っているか、道義的に間違っているか、論理的におかしいかのどれかである。仮にも懐疑主義者が、こんなお粗末な発想と貧弱な論理でコメントができるというのは、驚くべきことである。(『R』171p)
ぼくも「二万人に一人」といった数字そのものは過度に一人歩きさせるべきではないが、一つの参考とすべき云々と、それなりに抑制をした書き方をしたつもりですが、残念なことに師匠はフルスロットルで、完全にリミッターが解除されてしまっていました。これを読む限り、師匠は論理的思考をする能力が一切なく、自らの感情に振り回され愚かな言動を軽率に繰り返す人、以上の評価のしようがありません。
そして更に、しばらく前の山本師匠のツイートに、ぼくは本当に呆れ返ってしまいました。
すごいなあ。「ジェンダー研究者」を名乗る人が、ツイッターでだいぶ前から話題になってる「まなざし村」界隈のことを何も知らないらしいよ。
山本弘 (@hirorin0015)2017年7月15日
驚くなかれ、この発言は牟田和恵師匠に対してのモノです。
何というか……もう、いくら何でも、こりゃアカンやろとしか、言いようがありません。
逆転の発想、と言うべきだろうか。山本師匠にとっては、脳内のフェミニズムこそが絶対の真実であり、脳内フェミと現実のフェミニストの発言が合わない場合、事実のほうが修正されてしまうのだ。(『世』266p)
これに対して猛然と戦いを挑んだのが、誉れ高いチンポ騎士の面々です。
フェミニズムの専門家に対して、仲間内の造語を振り回して無知を嘲るのか。度胸あるなぁ。さすが「心はいつも15歳」の人だ。
デビルトラックさん (@deviltruck2010)2017年7月15日
「まなざし村」なんてツイッターのごく小さな界隈で使われる侮蔑的なスラングに過ぎないんだけど、それを一般的な知識として「ジェンダー研究者を名乗る人がまなざし村も知らないのかw」みたいなマウンティングを始めてしまう山本弘さんを見て、SNSのやり過ぎによる視野狭窄の恐ろしさを改めて知る
シュナムル @chounamoul 7月16日
これは前にも書いたけど、仮にも一つの学問領域について入門書すら読まずに「天文学ってのは要するに宇宙人を見つける学問ですね」「原子力工学って原爆作るためのものでしょ?」などと言ったら失笑では済まない侮辱だと思うんだが、フェミニズムに関してだけはそういう無礼がまかり通るんだよなあ。
瀬川深@チューバはうたう・ゲノムの国の恋 (@segawashin) 2017年7月17日
チンポ騎士たちの言は誠にご明察という他なく、他に補足することはありません(山本師匠、シュナムル師匠に反論しているのですが、それがまたシッチャカメッチャカなもので仰天しました)。
いや、しかし、それにしても、敢えていうならば、これで「まなざし村」という言葉が、「フェミニスト/ズム」を延命させるためだけにこの世に存在するものであるということがまたも、証明されたのではないでしょうか。
それともう一つ。
この騒動で自分に乱暴な言葉を投げつける人がいたのに対し、師匠は以下のように返しています。僕はフェミニズムというものを、この世界がすべての人にとって優しい世界になることを目指すための運動のひとつと理解してるんだけど、でも、こういうことを平気で言う人がいるんだね……。
山本弘 (@hirorin0015)2017年7月17日
これって、完全にトンデモさんの言ですよね。本当、ヤバいカルトの勧誘そのままです。仮にですが、と学会の例会で師匠の言を紹介したら、会員からは以下のような声が漏れ聞こえてきそうです。
「あーあ」
「もう、帰ってこない」
「もう帰れない」(『年』167p)
異常なまでの自己イメージの高さはフェミニストたちの特徴であり、それへの妄賛ぶり(妄賛という言葉は今、ぼくが考えました)はフェミ信者の特徴ですが、同時にこれはオカルト系の人たちの特徴でもあります。
それは例えば、「トンデモ本」の一大ジャンルである「終末本」を見ていくと明確になります。「人類は滅亡する!」系の本を読んでいると、カタストロフの後には往々にして、(生き残った自分たちによる)素晴らしい新文明が築かれるとされるのですが、こうした本に通底音として流れているのは現世に対する深い憎悪、それとは裏腹な「愛の使者」としての自己イメージです。
『トンデモ本の世界R』は丁度、2000年問題が騒がれ、それに絡めて人類滅亡の危機を謳う「終末本」が数多く出ていた頃に出版された本です。ここで師匠は紫藤甲子男『2000年5月全世界は壊滅する!!』を採り挙げ、舌鋒鋭く批判します。
何とも恐ろしい予言だが、紫藤氏の文章にはそれを恐れている様子はない。それどころか、苦しみながら死んでゆく何億という人々に対する憐れみなど、みじんも感じられない。なぜなら、現在の世界が滅び、神の国が到来するのは、紫藤氏にとって喜ばしいことだからだ。
紫藤氏によれば、世界が滅びた後、神の国に入れるのは、闘争心や競争心を捨てた「高度に洗練された感情の持ち主」だけだという。当然、自分もその一人だと思っているのだろう。
(117p)
これはトンデモ本には共通の特徴です。何しろこれの前項で紹介されている『2000年問題 日本壊滅』もそっくり同じ(カタストロフの発生、その後の愛と調和と平等に満ちた理想郷の到来)構造を持っているのですから*3。
そしてこれら「徹底した社会への憎悪と、そんな自分の感情に全く無自覚な愛の戦士としての自己イメージ」は言うまでもなく、フェミニストやその信者の特徴でもあります*4。
「ジェンダー」という人類の根本をなす原理がリセットされ、今までそれに依拠していた者たちは滅びる。しかしそれのためにワリを食っていた人々が報われる社会が到来する。フェミニズムはそうしたカーゴ信仰だったのです。
90年代初頭にフェミニストが「セクハラ」という概念を導入した頃のことについて、幾度か述べました。その時には意外や意外、オッサン向けの週刊誌などではフェミニストの主張へのかなり盛んな反論がなされていたのです*5。一般的なマスコミがフェミニストの言いなりになったのはこれのもうちょっと後、彼女らが「ジェンダー」とか言い出した頃からでした。「ジェンダーフリー」という空想的観念的非現実的な革命思想が、彼らはいたくお気に召したようで、それにベットしてしまったのです*6。それは丁度、紫藤氏の著作を真に受け、カタストロフが来るのを待ち構えるのと何ら変わりはありません。
近日もぼくは「ホモ擁護者はオタク差別者である傾向が強い」という指摘をしましたが*7、要は「我こそは人権主義者なり」との声高な主張には結局、「本人に自覚されないおぞましいヘイト」が隠れていることが大変に多い、ということなのです。
――というわけで、まだ予定の半分も消化していないのですが、既に結構な文字数を使ってしまいました。
続きはまた、来週に取っておくことにしましょう。
*3 こうした現世への深いルサンチマンから、彼らはこの社会から手痛い目に遭ってきた人々であると想像できます。そこを見ず生硬な道徳観で悪だと断じる山本師匠に、ぼくは当時からいささかの不快感を感じてきました。
が、フェミニストというのはこうした人たちよりも、もっと卑劣で悪逆無道であると断ずることができます。何となれば彼女らにも現世へのルサンチマンがあることは変わらないものの、同時に彼女らは女性ジェンダーの旨味の上にどっかりと胡座を掻き、それを棄てる気は(理解に苦しみますが、ジェンダーフリー社会が到来した後も当然のごとく)さらさらないとしか思えない、身勝手極まりない人たちであるからです。
*4 本当に一例ですが、同じエッセイで殺された女性に同情してみせると共に、息子を去勢したいなどと書いてみせる石坂啓師匠などはその代表ですね。
*5「『ポルノウォッチング』ウォッチング」など。
*6 むろん、この頃ソ連がなくなった、ということも一つの原因として考えられましょう。事実、UFO信者というのも共産主義崩れが多いそうです。
しかし、「ジェンダー」という何とはなしに学術的な響き、そしてLGBTという弱者を矢面に立たせる戦略が当たったことが一番大きいのではないか、というのがぼくの感想です。この時期に「男性学」と称するフェミ奴隷のススメが流行ったことも、同じ理由によるモノだったのではないでしょうか。
*7「ドラがたり とよ史とチンの騎士」
「フェミニズムそのものは良きもの」という刷り込みはやはり根強いのでしょうね。
これは「ネットで暴れているのは似非フェミ、本物はあんなのと違う」と主張する表現規制反対派の人達にもよく見られる態度なのですが。
しかし、「あんなのは似非フェミだ」と言っているのはフェミニストではない人たちばかりであって、肝心なフェミニストの方は「フェミニストは人それぞれ違う、本物だとか偽物だとか切り分けるな」と言うばかりで、ネットで男性憎悪を主張する人達を諌める人など見たことがありません。
それどころか、牟田和恵氏のような大学教授までジャップオスがどうこう言っているような人達を擁護しているのが実態なんですよね。
事実に即して考えるならあれこそが「本物のフェミニスト」であって、男性を含めた「全ての人に優しい世界を作る運動」を展開しているフェミニストなどというものは、そう主張する人の脳内にしか存在しないと考えざるを得ません。
トンデモを嗤い、科学的に思考することを良しとするなら、なおさら希望的観測は排さなくてはいけないはずなのですが。
「似非フェミ」とは違う「本物のフェミニスト」というものが本当にいるというのなら、まずそう主張する人たちが「本物のフェミニスト」の名を何人も挙げられなくてはならないでしょう。
もっとも、最近は表現規制反対派の中でも、「似非フェミ」などではなくフェミニズム自体が問題なのだ、と考える人は増えている印象があります。
これもやはり、牟田和恵氏のようにアカデミズムに身を置く人ですらあの有様なのだ、という現状を知ったことが大きいのかもしれません。
山本氏の世代では難しいかもしれませんが、もっと下の世代ではフェミニズムへの幻想が醒めるのも時間の問題ではないかと思います。
お久し振りです(^^
>しかし、「あんなのは似非フェミだ」と言っているのはフェミニストではない人たちばかりであって、肝心なフェミニストの方は「フェミニストは人それぞれ違う、本物だとか偽物だとか切り分けるな」と言うばかりで、ネットで男性憎悪を主張する人達を諌める人など見たことがありません。
ホントそうです。
牟田師匠も北原師匠も上野千鶴子師匠と関係の深い人物で、そんな人たちを否定できるわけがない。
>もっとも、最近は表現規制反対派の中でも、「似非フェミ」などではなくフェミニズム自体が問題なのだ、と考える人は増えている印象があります。
牟田師匠については朱緋真さんが「とうとう本性を剥き出しにしたプロフェミ」の貴重なサンプルという評価をなさっていて、裏腹に「表現の自由クラスタ」の中でも立場のある(具体的に政治運動などをやっている連中)が「フェミ」を主語に批判を始めており、フェミもだんだん後がなくなってきています。
ただ、では、「表現の自由クラスタ」が「ポルノを守れ!」以外のイシューや見識を持っているかとなると、いささか疑問です。「私はポルノを認めます」というポーズを取るフェミニスト(それがただのポーズでしかないことは繰り返し述べている通りですが)にはあっさり籠絡されているのが実情で、果たしてこれがどっちへ動いていくのか……となると予測がつきません。
後、「トンデモ本」を見ていて一番よくわかるのは、「トンデモさんは予言が外れても気にせず予言者を信じ続ける」と言うことですね。