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 次回の続き、2010年7月17日の記事の再録です。


 ただ、それとは別に今回、ちょっとお報せを。
 前もご紹介しましたがぼくは評論家の小浜逸郎先生、由紀草一先生が主催する日曜会の「文学カフェ浮雲」という文学の研究会の主催をさせていただいています。
 次回は中島敦について採り挙げるので、もしご興味のある方は、ご参加ください。

●日時:2022年2月27日(日) 午後3:00~6:00
●会場:(予定)ルノアール四谷マイスペース 3階A室
●アクセス:https://www.ginza-renoir.co.jp/myspace/booking/shops/view/%E5%9B%9B%E8%B0%B7%E5%BA%97
●テキスト:中島敦『弟子』『牛人』
(岩波文庫「山月記・李陵 他九篇」、ちくま日本文学全集「中島敦」(文庫サイズ)には両作が入っています。また、青空文庫なら無料で読むことができます)
●レポーター:樫野利一
●参加費:飲み物代込みで、1600円(当日、集めさせていただきます。)


 さて当時、本作はドラマ化もしており、今回はそちらメイン。
 後は毎度のごとく文章として拙い面、今となっては理解しにくい点などは適宜修正を加えておりますので、どうぞよろしく。
 では、そういうことで……。

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すんドめ』という漫画があります。
『ヤングチャンピオン』連載、作者は岡田和人……と言えば何となくイメージが沸くのではないでしょうか。
 内容は高ビー女が気の弱い少年を振り回すラブコメ。主人公の少年はオタクなのですが、掲載誌の価値観に従って(?)本作ではオタクは徹底的に薄気味の悪い異物として描かれます。
 そして本作は実写映画にもなっており、基本的に漫画の実写化というのはイタいものですが、本作はそれが輪にかけて非道く、「オタク描写」が酸鼻を極める凄惨なものになっておりました。
 主人公が所属するオカルト研究会がUFOを召喚する儀式として珍奇なポーズで珍奇に叫ぶシーンがあるのですが、メイキングで(ぼくはDVDで見ました)会長を演じる役者さんが「見せ場なのではりきって演じました」とエビス顔でインタビューに答えていたのが大変に印象的でした。後、温水洋一が「摺千好男(ずりせんすきお)」という映画だけのオリジナルキャラとして登場します。80年代だったらヤングに大受けだったかも知れませんね。
 これほどアキバだ萌えだと騒がれるようになっても、世間サマにとってオタクというのはフリーキーな異物、それも「キモさで嗤いを取る」ためのツールでしかないのだなぁと。で、温水のキャラがまた、本当に「自分たち、DQN側のネガティビティを何か、オタクとやらいう連中(がどんな連中なのかは知らんけど)へと押しつけときました」という感じで、まあ、迷惑この上ない話です。まあ、『ヤングチャンピオン』だからってのもあるでしょうが。

 さて、ドラマ版『モテキ』の第一回が昨日(正確には今日ですか)、放映されました。
 むろん、期待はありません。
 きっとフジ君や漫画家のオム先生の描写が目を覆わんばかりのものになってるんだろうな……との陰鬱たる気分で、鑑賞しました。
 お話としては基本は原作に忠実ですし、過度な漫画的描写(漫画的演技や演出を実写でやってしまい、滑っている描写)はなかったのですが、クライマックスのフジ君の流血や「ギャル御輿(笑)」のシーンなど、やはりギャグっぽく小馬鹿にした感じに描かれていたように思います。前者は原作にはなかった描写ですし、御輿に担がれて滑稽にはしゃぐフジ君をOPやアイキャッチで繰り返し繰り返し描写するのははっきり言って、センスがありません(多分、苦労して撮ったシーンなんでしょうが、見ていて「CGでいいから女の子を百人くらい並べられないのかな、と思いました)。
 高校時代のフジ君が『ときメモ』に熱中していたなど、原作にはなかった描写です。
 実のところ、原作でもフジ君は高校生の頃萌えエロ漫画を描いていたなど、確信犯的にオタクとして描写されていたので、恐らくその種の描写を増やそうというのが、作り手の意向なのでしょう。

 一方、原作でもフジ君がただの「モテモテ君」になってしまった中盤以降に比べ、初期編の彼はモテないことの惨めさや「スウィーツ」への嫌悪感などを露わにし、女たちがそれを一喝するというパターンが繰り返されておりました(前回の『モテキ』評が比較的穏健だったのも、巻が進むにつれ不快感が収束していったから、という面もあります)。

 放映されたドラマ版も全体のトーンがその頃のものであるため薄っぺらな男性批判色が濃厚で、見ていてムカムカ来ますw
 本作について、匿名掲示板を見てみると男性たちの嫌悪感が渦巻いているのですが、ブログを見てみると、まあ予想通りの言説が並んでおりました。
 とある女性はフジ君が受け身であることを、人でも殺したかのごとくただひたすら罵り貶め、返す刀で現実の非モテ男子に対しても「お前らは本作を見て自分を理解してもらえたと感じて喜ぶことだろうが、女はお前らのふがいなさにいらいらしているのだ」とこれまた人でも殺したかのごとくただひたすら罵り貶めていました。
 しかし是非はともかく、少なくとも本作を読んで喜んだ「非モテ」はほとんどいなかったようです。
 彼女が、男性が本作を読んで不快感を表明するとは夢にも想像できなかった理由。
 それはそうした「男性側の本音」が決して表には立ち現れない、否、表出することが社会的に許されず、仮に表出されても「ネット上のワルモノたちの戯言」として隠蔽されてしまう状況にこそあり、それが、ぼくには非道く不気味です(そもそも原作のあとがきを読む限りでは、作者も非モテ男子をこの漫画の読者として想定していたようで、女流漫画家が男性誌にとってどこまでも「貴賓」であることがわかります)。
 また、男性もブログになるやどういうわけか本作を誉め湛え始めます。
 仮想敵は言うまでもなく、アキバ的<ハーレム漫画>
 世間のいわゆる<ハーレム漫画>は女性がペラッペラな記号的存在であり、男性に都合のよいようにしか描かれていないのだそうです。しかし本作はそれにアンチテーゼを提示するアンチ・ハーレム漫画であり、そうした<ハーレム系>とは一線を画す優れた作品なのだそうです。ぼくの指摘と全く逆の感想ですね。
 上の女性は「自分から真面目に女の子を好きになれるほど他人に興味もないくせに」とおっしゃっていますが、『モテキ』の女性たちが「真面目に男の子を好きになれ」ないくせにフジ君の周りをうろちょろしている方がぼくには不純に思えますし、下の男性が言う<ハーレム系>より、ぼくには本作の女性たちの方が遙かにペラッペラな記号的存在であり、デリヘルみたいに思えるのですが、そんなこと言ったってムダなんでしょうな、萌え系の作品なんてこの人たち、何言ったって見ないでしょうし。
 要は匿名掲示板などを除いた場では、女流漫画家のお描きあそばされた「女性の内面描写」とやらを見た瞬間ひれ伏し拝み(別に、「私はブスでつらい」とか言ってるだけだったりするのですが、彼ら彼女らの目にとってはそれがどういうわけかものすごく深い描写に映ってしまうようです)、男性を批判することがお約束になっているということなのです。
 そしてこの種の凡庸な主張を繰り返すブログは、恐らくドラマ化に伴っていよいよ増えていくことになるのでしょう。
 前回、やや煮え切らない評価をしていたように、本作は決して「見た瞬間、はらわたが煮えくりかえる」ような種類の作品ではありません。
 しかし、考えるとフジ君という「ツッコミ待ち」キャラを漫画として描き、それをドラマ化することで「オタクの真実の姿(テレビで見るオタクこそが、彼らにとってのオタク観の全てでしょう)」とやらを世間に晒し上げ、ブロガーたちにテンプレな「社会のお約束」を語らせる。
 そこで初めて『モテキ』は完結する作品なのかも知れません。