どうもみなさま、明けましておめでとうございます。
少々ご挨拶が遅れましたがいよいよ2022年の始まりです。これからの二日間をよい年にして参りましょう。
……などと毎年恒例のギャグを書いてはみたものの、本当に時間の流れの早さに参ってしまいます。だってアナタ、「サイゼで喜ぶ彼女」騒動が起こったのって今年の二月ですよ。もう数年前のできごとって感じでしょ。
ともあれ、年を取れば取るほど時は早く過ぎていくものですが……今回言いたいのはそうした一般論ではありません。
毎回、ツイ世論など無視して好き勝手なテーマを採り挙げているだけの当ブログ、年に一回だけは時事ネタにいっちょ噛みしよう、という企画ですが、今年に限っては一年を振り返ることで、「思えば遠くへ来たもんだ」という感慨をお感じにになるのでは……と思います。
或いは今年は、人類史の中の分岐点として記録されるのでは……とそんな気すらしています。まあ、何をもってそう考えるのかについてはみなさんも見当がついていることでしょうが、そこはとぼけたまま、見ていくことにしましょう。
・キーワード1:ジェンダークレーマー
はい、「まなざし村」、「ツイフェミ」に続き、表現の自由クラスタが市井の弱者女性に全責任をおっ被せ、プロのフェミを延命させるためだけに捏造した、新たな用語の誕生です!
……などと書く間もなく、この言葉、何だかすっかり懐かしくなってしまいましたね。だってもう、ここ半年ほど聞いてない気がしますし。
ちょっと気になって調べてみたのですが、この言葉、神崎ゆき師匠によれば天路めあという御仁の造語であるとのこと。提唱したと思しいブログ(「魔法少女の呼称戦略」)は今年の二月一日に書かれているのですが、そこでは以下のようにあります。
でも自分たちが批判したいのはフェミニズムではない。
フェミニズムを批判する意図はないと示すためにツイフェミ、エセフェミ、迷惑フェミ、害悪フェミ、キャンセルフェミ、自称フェミニスト……などなどの言葉が生まれている。
表現の自由を訴える人やアンチフェミと呼ばれる多くの方は、フェミニストへの攻撃と誤解されるのはまっぴらごめんなわけです。
はい、フェミニズムを守りたくて仕方ないので、尻尾に貼りつけて切り離すレッテルとしてこの用語を作りましたとはっきり明言されています。
いずれにせよ表現の自由クラスタは今までずっとそうしたレッテルを偽造してきました。「ツイフェミ」は用語として定着したんだから、わざわざ新たな言葉を作る理由はないのですが、まあ、愛おしいフェミ様のためにも「フェミ」を冠さない言葉を捏造する必要があったのでしょう。
もちろん、ぼくはこの言葉をずっと批判してきましたし、表現の自由クラスタの不誠実さに腹も立てたのですが、しかし繰り返す通り、既に死語、「遠い」言葉になってしまいましたね。
・キーワード2:『月曜日のたわわ』炎上
国連女性機関が『月曜日のたわわ』全面広告に抗議したのは今年の四月です。
しかし……これまた今のぼくには「遠い」気がしてしまいます。
もちろん、巨乳の女子高生が主人公というだけで、(描画法としては胸が強調されているとは言え)ヌードが描かれているわけですらない広告に噛みつくフェミニストたち(あ、国連ですよ、ツイフェミじゃなく)の狭量さには賛成できません。
また本年一月には『おねがいマイメロディ』の名台詞、「女の敵は、いつだって女なのよ」を冠した商品が、発売中止に追い込まれるという事件もありました。自分たちのことを批判された、と正しく主旨を理解したフェミニストたちが怒り狂ったためです。後者の事件については「フェミはオタクばかりを攻撃する」という物言いが必ずしも正しくないことを示しています。アニメとは言え、さすがに萌えキャラでもないし、また性的要素が批判されたわけではないのですから。
ただいずれにせよ、これら事件が何故「遠い」ものと感じられるかと言えば、この種の「フェミが表現に噛みつく」→「表現の自由クラスタが表現の自由を毀損するツイフェミは自称フェミだと泣きわめく」という流れが既にある意味、「クラシックケース」と化しつつあると感じるからなのです。
・キーワード3:オープンレター
はい、今年前半の一番大きなトピックスはこれでしょう。
ぼくも本件については『WiLL Online』様で採り挙げさせていただきました。
本件もやはり既に「遠い」ものに感じられますが、それは先に挙げた例とはまたちょっと事情が異なり、被害者である呉座勇一氏が「折れてしまった」ことがその一因ではないかとも思えます。
氏のブログ、「ジェンダー・フェミニズムに関するカウンセリングにつきまして」を見ると、日文研から受けた処分は不当と考えているようですが、このカウンセリングを受けたことを喜び、記事を以下のように締めています。
ネット上では一連の訴訟を「ジェンダー・フェミニズムとの闘い」とみなす言説が散見されますが、それは誤解であり、私の本意ではないことを申し添えておきます。
つまり、本件をそうした文脈で取り扱われることに、呉座氏自身が異を唱えてしまったのです。
呉座氏を責めることはできませんし、「洗脳されたのだ」と思いたくもないし、また裏があるのだと決め込むこともできませんが、率直に言って残念な話です。
・キーワード4:青識亜論炎上
今年前半のトピックスとなると、本件も忘れるわけにはいかないでしょう。
最低限の説明は以下の動画を。
さて、そんなこんなで青識師匠とぼくとの距離も少々「遠い」ものになってしまった気がします。
いえ、ぼくがTwitterアカウントを凍結され、新垢を作った時、師匠がフォローしてくれ、ホントはちょっと距離が縮まっているのですが(この辺のフランクさには、頭が下がるのですが)、ただ師匠の「アンチフェミ」としての影響力は、残念ながらかなり減じていると言わねばならないのではないでしょうか。
繰り返す通り、青識師匠は牟田和恵師匠のポルノ否定の書を全力で称揚していました。仮に青識師匠が「表現の自由」を守りたいと本当に考えていたとしても、フェミニズムの本丸の目的である「既存のセクシュアリティの完全なリセット」という所業については賛同しているとしか、思えない。そんなの悪い宇宙人が「我々は殺人は冒さない、しかし地球は破壊する」と言って地球だけを破壊して、人類を破壊された地球の上に放り出すようなものなんですが。
・キーワード5:松浦大悟
誰、と思う人もいそうですね。
本件もまた、「遠い」ものになってしまったことも、そう感じる一因でありましょう。
一応最低限の説明をしておきますと、先の参院選で「オタクの味方」として担がれていた人です。
師匠は同性愛者の保守議員であり、著書『LGBTの不都合な真実』ではLGBT運動の暴走を腐す、非常に頷ける指摘が多々なされておりました。
しかし同時に同書ではNAMBLAを、(その目的が子供とのセックスの合法化であるということを伏せたまま)称揚するという不誠実で姑息なことがなされてもいるのです。
松浦師匠を挙げたのはあくまで代表者ということで、柴田英里師匠の著作でも同様なことがなされていることもまた、ご報告した通り。また、青識亜論師匠や白饅頭師匠も何だかミョーなペドファイル擁護を続けていたことも、かねてより指摘していますね。
近年、LGBTはいよいよ暴走するようになり、子供への接近が著しいこともまた、ご報告させていただいている通りです。つまり、そこには仮にペドファイル的欲望がないとしても、「子供の性的自己決定権」を容認するという方向性が、必然的に生じる。
表現の自由クラスタのバックである左派がLGBTの「躍進」を見て彼らに擦り寄りつつあるのではないか……というのがぼくの想像です。
松浦師匠もまた、頷けるLGBT批判をしている一方で、その「ペド擁護」的な部分だけは「ご相伴に与りたい」と考えているのでは……。
さすがに陰謀論だろ、と言いたい方には、今までのぼくの言説がことに本年、次々と「的中」しつつある(ぼくの主観では周囲の人がやっと気づいただけなのですが)ことを鑑みてもらいたいところです。
ちなみに、上に挙げた人々について、詳しくは以下を。
・キーワード6:ブリジット女性化
これについてはニコブロでも、『WiLL Online』様の記事でも書きました。
今は亡き遙かなる男の娘へ
「男の娘」の元祖とも言えるキャラ、ブリジットが久し振りに復活。しかしあくまで「女の子のように可愛らしい男の子」であったブリジットが新作では自身を「女の子」だと称し、オタク界に衝撃が走りました。
この話題については特に付け加えることもないのですが、本件でオタク界、表現の自由クラスタ界の有力者が誰一人として異を唱えないことには、大きく失望させられました。誰もがLGBT様の御聖断に嬉し涙を振り飛ばしながら追従(し、いつもの通り、オタクを見下してのマウントを)するのみ。
いよいよ表現の自由クラスタが表現を守るのに一切寄与しないことが、明らかになってきたのではないでしょうか。
・キーワード7:BL問題
今年は表現の自由クラスタと腐女子の間にある亀裂もまた、顕在化しました。
BLの規制がなされようとして、腐女子側が「どうした表現の自由クラスタ、BLを守れ、それがお前らの好む表現も守るということだ!」とぬけぬけと言い出した、ということがあったようです。
表現の自由クラスタ内では「腐女子≒フェミ」であり、敵だとでもいった論調が沸き上がることになりました。
まあ、既に語り尽くしているのですが、ぼくは基本、腐女子の味方をすべきだと思います。問題の中心になった星崎レオ師匠を含め、彼女らは(漫画家である師匠含め、ことさらにフェミ的言説、活動を行ってきた人は少数だろうとの意味で)別にフェミニストではないし、彼女らを「うっすらフェミ」として叩くのは「ツイフェミ」叩き同様、プロのフェミニストを延命する結果しか生まない。
また、BLをLGBTへの差別だとして批判するのも、絶対に悪手としか言いようがない。そうなるとレズ漫画もまたレズへの差別だと認めないわけにはいかないし、LGBT運動家に媚びを売りたい表現の自由クラスタに益することにもなる。
しかしまあ、ともあれ、本件をきっかけに広がった「亀裂」は腐女子をLGBTと同様の聖者として崇めたいという「表現の自由クラスタのトップ」と、ナマの腐女子と関わり、いい加減、彼女らの身勝手さに嫌気の差していた「市井の表現の自由クラスタ」との間に入ったものである、ということは言えましょう。
・キーワード8:国際男性デー
さて、11月19日は「国際男性デー」でした。
ぼくとしては(誰にどのような主旨で作られたかなど知らないのですが)どうせフェミ関連の記念日だろうということで興味もありませんでした。
が、本年はこれを機にと、「#MenWithWomen」とかいうプロジェクトが持ち上がりました。
要するに「男性学」と全く同じ、「女性様の奴隷の心得」ですね。
何せ発案者がネットの人気者、勝部元気師匠だとあって、ツイッター界隈ではブーイングの嵐が巻き起こりました。
そして本件には時々言う、「男女平等」という言葉への、世代間による温度差の違いが現れているように、ぼくには思われました。ある世代より上は「この世は男尊女卑である」とのコンセンサスを(もちろん、それは虚偽なのですが)何とはなしに常識としてプリインストールされている。言わば「男女平等」とは「男は女に借金があるので、返そう」という意味に他ならない。
ところが若い人にしてみればこの「借金」という感覚がないものだから、「男女平等」と言われたら単に「おこづかいを男の子と女の子で平等に分ける」場面しか想像できない(そのおこづかいを女の子への返済に当てる、という発想がない)。
彼らがフェミに対して抱く嫌悪感はそれ故だし、この「男性デーを気にした企画」に対する反発の根源も、そこにありましょう。
本件は青識亜論師匠も批判していた記憶はありますが、何にせよ本件へ向けられたブーイングは先に述べた年長者であろう「表現の自由クラスタのトップ」と若い「市井の表現の自由クラスタ」との間に入った「亀裂」とおなじ性質を持っているように思えるのです。
・キーワード9:AV新法
本件について、ぼくよりも今これをお読みの皆さんの方が詳しいかと思うのですが……。
本件、裏では仁藤夢乃師匠やその関係者がかなり暗躍していたことが囁かれていますよね。成立時の有識者会議に出席したのがほとんど彼女の関連団体で、暇空茜氏は「AV新法はColaboが作った」とまで表現していたと思います。
AV新法については、表現の自由クラスタの中でもボス格と言っていいおぎの稔が反対してたりもしましたが、果たして根源的な対処ができるか、いささか怪しいのではないでしょうか。
というのも、結局、本件は「キーワード10」の「前振り」に他ならなかったからで――。
・キーワード10:Colabo炎上
はい、四コマ漫画で言うところの四コマ目です。
ちなみに「キーワード9」が三コマ目ですね。
まあ、今年の10大ニュースといくら言ってもこのColaboの件に全てが持ってかれることはもう、衆目の一致するところでしょう。普通の10大ニュースの「安倍さん暗殺」くらいのインパクトが、本件にはありました。
今年のキーワード、今までその多くを「表現の自由クラスタの凋落」「それによるネット世論の変容」と結びつけて語ってきました。まあ、似たことはここ数年ずっと言ってはいたのですが、しかしそれにしても本年はそれがいよいよ決定的になった一年であるとは言えないでしょうか。
青識亜論師匠は本件についても「対話を持とう云々」と何だか及び腰。
表現の自由クラスタについて、ぼくは(ここまで文句をつけている割に)内部事情などには詳しい情報を持ちません。しかしこの種の一般社団法人の類いは左派の人たちのたまり場ですから、腹を探られたくないのかなあとの勘繰りも、したくなるというもの。まあ、セブンナイツに近い連中からの嫌がらせ、ぼくも受けましたしね。
暇空茜氏はかねてより青識師匠を批判しており、また手嶋海嶺師匠についても、その目的をペド権利改善と児童売春合法化だと批判しています。
実のところ暇空氏の青識批判動画はぼくとしてはちょっとなあという印象で(何か「キモいキモい」と罵倒しているだけという感)また手嶋師匠がどのような主張をしているのかを詳しく知らないのですが、いずれにせよ、スタンスがぼくに近しい人だということは言えましょう。
今までの左派の政治運動に紐づけられた連中とは違い、個人として一般人の中から出てきての活躍ぶりは、オタク界のトランプという感じがしないでもありません。
暇空氏の住民監査請求は今月29日に通り、監査委員もColabo側の不当性を認めた形です。来年早々から都はひっくり返るような騒ぎになることでしょう。
今からあまりに大きな期待をすべきではないかも知れませんが、これを機に男女共同参画局の年間十兆近い予算にもメスが入って欲しいし、そうなるとフェミ業界もほぼ壊滅的打撃を受けることは確実でしょう。
そうした「ノアの大洪水」の過ぎ去った後、業界に表現の自由クラスタの姿は残っているのか。
来年からアンチフェミ業界も、全く違った顔を見せるようになるのではないでしょうか――。