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ぼくたちの女災社会(その1)(再)
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ぼくたちの女災社会(その1)(再)

2024-06-07 20:01
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     さて、『ぼくたちの女災社会』[補足改訂版]のDLが始まりましたが、お買い求めいただけたでしょうか(圧)。

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     しばらくキャンペーンめいた企画として、自著のタイトルを冠した過去記事の再録をしようかと思います。
     何しろブログも十五年近く、無為に続けて来ており、折に触れては自著について扱ってきました。今回はブログのほぼ第一号、2010年1月28日に書かれたもの。
     まあ、短いし大したことは書いてないのですが、フェミ側の攻撃が当時から他愛ないものだったということがわかり、これはこれで面白いかと思います。
     それではそういうことで……。

         *     *     *


     自著です

     セクハラ、ストーカー、痴漢冤罪、女性専用車両などといったトピックスを挙げ、現代の男性が「女性災害」の被害に遭い続けている現状を指摘、その防災対策の重要性を説いた書です。
     本書を出版して半年近くが経ちました。正直なところ、売り上げはそれほどとは言えないようですが、読んだ方には概ね好評を持って迎えられていて一安心しております。ことに女性の中にも本書を肯定的に見てくれる方が存外いらっしゃったようで、これは嬉しい誤算でした。
     むろん、本書に対しては批判的な声も聞かれました。それ自体は当然、想定の範囲内でしたし、批判といってもネット上でちらほらと拝見したのみです(フェミニストたちにはクリティカルダメージを与えてしまったので、恐らく正式な反撃はしてこないだろうと想像していましたが、今のところそれが当たっているわけです)。
     とは言え、その「批判」があんまりにもショボいものばかりであったのも事実です。
     amazonには「単なる女性批判」と題されたレビューが掲載されました。ぼくとしては本書を「単なる女性批判」に留まらないものであると自負しているのですが、このレビュアーさんが「留まっている」と感じられたのであれば、それは仕方ありません。しかしレビューを読む限りこのレビュアーさんは「女性批判」そのものが否定されるべき、唾棄すべきものと考えていらっしゃるように、ぼくには読めました。本書でも「ミソジニー」という「攻撃呪文」について書きましたが、果たして「女性批判をすること」それ自体が否定されねばならないというのは、一体どんな感覚なのでしょうか。
     他に「批判的なレビュー」はブログなどで二つ拝見したのみなのですが、その二つともが「本書に書かれていないこと」をあげつらい、攻撃する内容だったことには笑ってしまいます。
     お一人は、

     よく読めばそれなりに道理の通っている部分もあるのですが、全体に満ちるゲスさがすべての魅力を便所臭くしています。痴漢冤罪の原因は女性のレイプ願望だとか。


     と書いておいででした。ワタシ、そんなこと書きましたっけ?
     確かにぼくは本書で、

     何となれば、先に書いたように「男性から求められること」そのものが女性のセクシュアリティであり、アイデンティティの根幹をなしているからです。故に、彼女らは自らの欲望をつまびらかにせず、覆い隠すことで「男性から求められ」ようとします。


     と書き、また、レディースコミックなどにレイプ描写が多いことなども指摘しました。
     そういった文章が、このブロガーさんにはそのように読めてしまったのでしょう。確かにこの辺りはナーヴァスな問題を含んでおり、ぼくもかなり慎重に表現したつもりだったのですが、しかしそれを上のように「超読」されてしまっては、返す言葉もありません。
     また、もう一人のブロガーさんは

     参考文献のいくつかが未読であることを本文中で自慢げに言われても……。


     とおっしゃっておいででした。ワタシ、そんなこと言いましたっけ?
     これについては本気でわけがわからなかったのですが、最近ようやく、

     これでは「女がわからなくてメシが食えるか」的なビジネス書が売れるはずです。いや、読んだことはありませんが。

     いや、ぼくは恋愛マニュアルというものは読んだことがないのですが、当時読んだ評論にはそんなふうなことが書いてありました。



     このいずれかを指しているのではないか、と思い至りました。
     いや……これらを「参考文献」だと思い込むって、この人の頭の中って、どうなってるんでしょう。

    「と学会」の山本弘さんが「と学会を攻撃してくる人たちは、何故だかこちらが書いてもいないことに文句をつけてくることが多い」と書いていたことを思い出します。
     このブロガーさんたちにとっては、ぼくがどのような本を書いたか、どのような主張をしたか、本の中にどのような記述がなされていたかという客観的な事実は、全くどうでもいいのですね。ただ、本書を女性の主観がどのように感じるか、それだけが重要なのです(上のブロガーさんたちが男性であろうと女性であろうと、これは変わらないと思います)。
     その意味で、上のブロガーさんたちのレビューは、むしろ本書の提示したいくつかの概念を見事なまでに裏書きして、本書の価値を証明したように、ぼくには思われます。それはつまり「攻撃呪文」であり「冤罪」であり、そしてまた「一人称性」でありチ/シキュウ化です――。

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