結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2017年6月6日 Vol.271
はじめに
おはようございます。結城浩です。
いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
このさわやかな天気がずっと続けばいいのになあ…… と思っていましたが、もう六月。 そろそろ梅雨が近づいています。 フラワーショップのレパートリーにも紫陽花が登場しています (向日葵も)。
気がつけば、 もう今年2017年も半年が過ぎようとしているんですね。 毎回書いているようですが、時間が過ぎるのって、 どうしてこんなに速いんでしょうか!
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新刊の話。
『数学ガールの秘密ノート/積分を見つめて』の再校ゲラが届きました。
再校ゲラの段階になると、 もう極端に大きな変更はできません(いや、できないことはないのですが、 危険をともなうのでできるだけ避けます)。
さすがにそろそろ文章としてはスムーズに読めるようになっていますし、 単純な誤植もほとんどなくなります。 レビューアさんから指摘された事項の大半も(取捨選択ののちに)、 反映された状態になっています。 ゲラを読んでいても気持ちいいことが多いですね。
この段階になると、ゲラを読んで修正しかかるけれど、 やっぱり修正は止めるということがとても多くなります。 『数学文章作法 推敲編』にも書きましたが、 ある意味で「最適」な状態に近くなっているため、 文章を少し動かすと、かえって悪くなってしまうことが多いからです。 「山の頂上にいるなら、どちらの方向に動いても下がることになる」 というのと似ている現象ですね。
「最適」とはいえ「局所最適」ですから、 構成を大きく変更してよりよい状態に向かうことは不可能ではありません。 山の比喩でいうなら、いったん下がったとしても、 となりの山脈まで行けばもっと高くなれるということです。 しかしながら、再校ゲラの段階ではそんなに大きな変更はできません。 たとえば、この段階から章全体を書き換えたり、 章の順番を入れ換えるというのはかなり困難です。 「この本はここまで」という見切りをしなくてはいけません。 理想と現実との折り合いを付ける必要があるのです。
それに実際のところ「大きな変更をすればもっとよくなりそう」 と思ったとしても、本当にもっとよくなるのかどうかは不確定です。 大改造や大手術をしたけれど、結局は大して変わらなかった。 単に時間だけ使う結果になるのもよくある話です。
無理をしても直す価値があるのか、 それともこれで実際上は最適だと見切るのか。 それは本を書く上で難しい問題です。
実は本に限らない話かもしれませんね。 ある程度以上の複雑さを持ち、 作成するのに時間が掛かる構造物を完成まで持っていくときには、 どんな人でも同じような判断が必要になるでしょう。
いま欠点のように見えているところがある。 これは無理をしても直す価値があるのか、 それともこれで実際上は最適だと見切るのか。
なかなか言語化しにくい判断かもしれませんね。
そんなこんなで終盤戦を迎えている新刊です。 先日は、販売の際に一部のチェーン店さんが同梱してくださる 《メッセージカード》を描いていました。 いろんな書店さんが応援してくださるのは、 ほんとうにありがたいですね。
この新刊が書店に並ぶのは六月末になる予定です。 がんばります!
◆『数学ガールの秘密ノート/積分を見つめて』
https://bit.ly/girlnote09
後ほど「本を書く心がけ」のコーナーでは、 「増刷のタイミングが教えてくれること」 というお話をします。
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執筆環境の話。
少し前までは、レビューアさんからの指摘事項を ファイルに反映する作業をしていました。
レビューアさんからの指摘はメールでやってきます。
「ここに計算ミスがあります」
「このテトラちゃんのセリフは意味が取りにくいです」
「h > 0という条件が必要だと思いますが」
のような指摘が結城あてにたくさん届くことになります。 結城はMacBook Air 13インチで作業をしており、 だいたい四個か五個のアプリを起動し、 それらを行き来して作業が進みます。
開いているアプリは以下のようなもの。
・ターミナル(iTerm2):コマンド入力やVimでの編集のため
・メール:レビューアさんの指摘を読むため
・プレビュー:原稿PDFを見るため
・ブラウザ(Safari):Draftを使ってメモするため
・Evernote:参考資料や過去のメモを見るため
ウインドウはすべてフルスクリーンにして、 四本指スワイプでシャッシャッと切り換えたり、 Command+Tabで切り換えたりします。
机の上に必要なものを広げて、 あちこち参照しながら作業を進める感覚です。 現実の机よりも手の移動距離が短くて済むので楽ですね。 また、すべての情報は画面に表示されていますから、 「いま見ているコレを後で検討しよう」と思ったら、 すぐに画面をEvernoteにクリップできるのもいいですね。 現実の机だと「いま見ているコレ」をクリップするのがやや大変です。
コンピュータ上でできるだけ作業を進めるようにしているので、 コンピュータの執筆環境を整えると、作業効率がアップします。 つまり、自分のプログラミングによって、 作業効率を上げることが可能になります。 これはすごくうれしいこと。
後ほど「仕事の心がけ」のコーナーでは、 「Draftで数式混じりの文章を書く」 というお話をします。
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DIST.16 「esa meetup in Tokyo〜情報共有Night」の話。
2017年6月23日(金)に、 ドキュメント共有サービスesaのmeetupが開催されるようです。
結城は参加しませんし、 このイベントに関わっているわけではありませんが、 応援ということでご紹介。
対象:
・Web制作における情報共有に興味のある方
・他者(社)がesa.ioをどのように使いこなしているか知りたい方
・学生でWeb制作業界に興味を持っている方
◆DIST.16 「esa meetup in Tokyo〜情報共有Night」
https://dist.connpass.com/event/58048/
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グラフのトリックの話。
結城は『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』の第1章で、 「グラフのトリック」について書きました。 いろんなグラフを使って印象操作が可能であることや、 それを回避するために自分でグラフを読んだり、 描き直したりするという話題です。
先日、@ShiMa1296 さんのおもしろいツイートを見かけました。 これもグラフのトリックの一種ですね。
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データそのものを弄らずとも印象操作はできる
https://twitter.com/ShiMa1296/status/867288004850614273
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ここに描かれているのは「レーダーチャート」と呼ばれるグラフです。 複数の項目に対して何段階かの評価があったとき、 その評価を「レーダー」や「蜘蛛の巣」のような形に描くことで、 特に良い項目や悪い項目を見つけ出すというものです。
このツイートに書かれていたのは、 「項目が同じ」で、しかも「各項目の評価が同じ」だとしても、 並べ方を変えるだけで印象操作ができるという話題です。
人間にはグラフの面積(広がり)がパッと目に入るので、 評価の高い項目が上下に、低い項目が左右に配置されると、 面積が大きく変化するのですね。
本来はバランスを見るはずのレーダーチャートですが、 面積が小さいと「全体的に悪い」という印象を与えてしまいます。 なるほど、と思いました。
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正確で読みやすい文章の話。
正確で読みやすい文章を書くのはとても難しい、 といつも思います。 そもそも、内容が正確な文章を書くのは難しいですし、 読みやすい文章を書くのも難しいです。 でもその両方を備えた文章というのは本当に難しくなります。
どんな主張にも、必ず「例外」や「前提条件」があります。 ということは正確に主張するためには、 それらをどう扱うかの判断が必要になりますよね。
「AはBである。ただし例外として、CとDとEがある。 まれにはFという例外もある。過去にはGという例外もあり、 海外にはHという例外もある。太陽系から離れたところでは、 Iという例外もあり……」などと続けていったら、 「例外はもういいから話を先に進めてくれないかな」 と感じますよね。
「AはBである。これが成り立つためにはCという前提条件が必要だ。 また環境によってはDという前提条件が必要になる場合もある。 まれにはEという前提条件を考えなくてはいけないし……」 と書かれていたら、 「前提条件の話はいいから話を先に進めてよ」 と言いたくなります。
上に述べたのはわざとらしい例ですが、 文章を書くときの現場では同様のことが起きます。 正確さをアップしようとすると読みやすさがダウンし、 読みやすさをアップしようとすると正確さがダウンするのが普通です。 ひとことでいえば「トレードオフ」ということですね。
「この文章は不正確だ」や「この文章は読みにくい」 と読者が主張するのは100パーセント正当です。 しかし、著者がそれを解決するのは容易なことではありません (まあ、だから、正確で読みやすい本に商品価値が生まれるわけですけれど)。
正確で読みやすい文章を書くために必要なことはたくさんあります。 その一つは「存在だけではなく、重みも理解していること」でしょう。 先ほどの「例外」や「前提条件」の場合でも、 どんな例外や前提条件が「存在」するかを理解していることは必要です。 でもそれだけではだめで、 その「重み」まで理解していなくてはいけません。
「重み」がわかっているからこそ、どれを詳細に書き、 どれを省略するのかの判断が可能になるのです。
正確で読みやすい文章を書くのは難しいものです。 でもその執筆プロセスの中で、 ものごとを少し深く理解できるのは楽しいことでもありますね。
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未来大の話。
公立はこだて未来大学の高村先生の記事が出ていましたのでご紹介。 主に高校生向けの記事のようです。数学とはどんなものか、 数学の学び方についてなどのお話です。
◆未来大と数学
https://www.fun.ac.jp/funbox201705/
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Qiitadonの話。
プログラミングに関する情報共有サイトqiita.comが、 マストドンインスタンスの運営を試験的に始めたようです。 「きーたどん」と読むのでしょうか。
◆Qiita ユーザー向けの Mastodon インスタンス Qiitadon を試験的に公開しました - Qiita Blog
http://blog.qiita.com/post/161193715974/qiitadon
Qiitaのアカウント連携なので、 プログラミングに関する話題がローカルタイムラインに流れるのでしょう。
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「ほうれんそう」の話。
あるとき、こんなわかりにくいジョークを考えました。
「ほうれん草、入荷しました!」
「ほうれん草、安くなっています」
「ほうれん草、買ったほうがいいですか?」
要するにビジネスシーンでよく使われる「ほうれんそう」 (報告・連絡・相談)を「ほうれん草」に適用したという話。 これはこれだけのことで(大して面白くもない)ジョークです。
ところでこれに関して「ほうれんそう」を検索していて、 おもしろいことを知りました。
「ほうれんそう」はしばしば、
社員は、上司や同僚にきちんと情報伝達することが大事
という意味だと考えられています。 社員のビジネスマナーとして捉えられているわけですね。
でも、「ほうれんそう」を名付けた山崎富治氏の著書によると、 もともとは、そうではないらしいです。
社員が『ほうれんそう』をしやすいような、
風通しのよい職場環境を作ることが大事
というのがポイントのようです。 つまり、部下よりは上司が注意する必要があるわけですね。
(結城は著書に直接あたったわけではなく、以下の記事の孫引きです)
◆あなたの「ほうれんそう」は間違っている
http://ascii.jp/elem/000/000/887/887822/
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文章を書くテンプレ(定型)の話。
文章を書くとき、こんなテンプレがあります。
「でも、たった一つ言えることがあります。それは〇〇ということ」
このテンプレは便利ですし、 ここぞというときに使えば文章がピリッと引き締まります。 読者の意識を「○○」に集中させる効果もありますね。
でも、たった一つ言えることがあります。 それは使いすぎるなということ。
……というメタな文章を書いて楽しんでいます。
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ファンレターの話。
先日、韓国の高校生さんからファンレター(メール)をいただきました。 許可を得て、以下で公開しています。
◆結城浩の日記
http://bit.ly/2qRjey4
ご感想をいただくのはとてもうれしいのですが、 興味深いのは、この韓国の高校生さんが持たれた感想が、 日本の高校生さんが持つ感想と変わらないという点です。 『数学ガール』では、
「数学は、時を越える」
というキャッチフレーズを使っていますが、 結城はこのメールを読んで、
「数学は、国境を越える」
ということも言えるんだなあとつくづく思います。
題材をうまく料理して提示すれば、 国境を越えて「数学のおもしろさ」が伝わるのですね。 住んでいる国が違っていても、使っている母国語が違っていても、 数学のおもしろさ、楽しさ、喜びというのは共通なのだな……と感じ入りました。
学ぶことの楽しみもまた、 時や国境を越えていくに違いありません。
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それではそろそろ、 今回の結城メルマガを始めましょう。
どうぞ、ごゆっくりお読みください!
目次
- はじめに
- 複数の項目を提示するには「糸」が必要 - 文章を書く心がけ
- Draftで数式混じりの文章を書く - 仕事の心がけ
- 増刷のタイミングが教えてくれること - 本を書く心がけ
- 愛の原則
- おわりに