小説『神神化身』第二十三話

「舞奏競 果ての月・修祓の儀(後編)


「こうして闇夜衆(くらやみしゅう)の皆さんと舞奏競(まいかなずくらべ)が出来ることを嬉しく思っています。観囃子(みはやし)の皆さんの為に、そして何よりカミの為に」

 三言(みこと)が何気なくそう言うと、目の前に座っている皋(さつき)の様子が変わった。何かを見定めるように目を細め、じっと三言のことを見つめてくる。しかし、見つめられているのは仕草や表情じゃない。その奥にある、もっと別のものだ。何を計られているのだろう。ややあって、皋がゆっくりと口を開いた。

「……戦う前に一つ、六原に聞いておきたいことがある」
「何ですか?」
「答えられるならで構わないんだが……お前の願いは何なんだ? 舞奏競に勝って、お前は何を叶えたい?」
 最初は何を言われているのか分からなかった。
 その言葉があまりにも三言の関心の外にあるものだったからだ。

 そういえばそうだった。舞奏競で勝ち進み、大祝宴(だいしゅくえん)に到達して至上の舞奏(まいかなず)を奉じれば本願が成就すると言われているのだ。だから皋は雑談の一環としてそんな質問を出してきたのだろう。納得した三言は、笑顔のまま返す。

「本願ですか? 特にありません」
 それを聞いた皋が分かりやすく顔を顰(しか)める。何か気に障ったのだろうか。

「……まあ、信じてないってのも全然あるだろうけど。いくら舞奏とか舞奏社(まいかなずのやしろ)に歴史があるとはいえ、願いが叶うなんて都市伝説っぽいもんな」

「信じてないわけじゃないですよ。カミの力も観囃子の歓心の力も奇跡を起こすに足るものだと思っています。ただ、俺がそれに関心を持っていないだけで」
「じゃあお前は何の為に舞奏競に出るんだ?」
「勿論(もちろん)、自分の至高の舞奏をカミに奉じる為ですよ」

 それ以外に何があると言うのだろう。その為に、大事な幼なじみも協力してくれている。地元のみんなも応援してくれている。大祝宴に到達すれば、浪磯(ろういそ)全体の活気にも繋がるだろう。覡(げき)としての三言も役割を果たせたことになる。それ以上に望むことはない。

 しかし、皋の表情は晴れなかった。信じられないものを見るような目でこちらを見て、まるでショックを受けたみたいな顔をしている。まさか、嘘でも吐いていると思われているのだろうか。だとしたら困ってしまう。どう信じてもらえばいいか分からない。けれど、皋が続けた言葉は、更に奇妙なものだった。
「俺は、舞奏競に出る覡はみんな願いがあるものだと思ってた。だから、舞奏競では相手の願いを踏み躙(にじ)ることになるんだと。でも、お前はそうじゃないんだな」

「そんなことはありませんよ。むしろ、カミではなく願いの為に舞奏競に出る人がいるとは思っていませんでした」
 三言は心の底からそう言った。
 その意味でも、闇夜衆と最初に競えることになったのは嬉しいことだ。ただ純粋に舞奏に向かい合っている自分と、願いの為に挑む皋のどちらがより優れているのかがこれで分かる。そこから見えてくるものもあるだろう。
 三言の言葉に、皋は一つ大きく頷いた。
 そのまま、彼がはっきりと宣言する。

「これで分かった。俺はお前が気に食わないよ、六原(むつはら)。俺は叶えたい願いが無い人間になんか負けない。負けたくない」


 *

「あー、ミスった。マジでミスった。相手年下なのに、気に食わないとか言っちゃった。流石にこれは無い。人間としても社会人としても終わった」
 皋所縁(ゆかり)は境内の砂利道に蹲(うずくま)りながら、悲痛な声を上げた。今日は色々と失態を犯した気がするが、さっきの六原三言への発言以上の失態は無いだろう。あそこでタイミング良く社人が櫛魂衆(くししゅう)を呼びに来てくれなかったら、場の空気は最悪なものになっていただろう。いや、あの時点で手遅れになっていた気もするけれど。

 お陰で修祓(しゅばつ)の儀もよく分からないまま終わってしまった。こんな気持ちで舞奏競に挑んでいいものだろうか。とことん自分は罰当たりな覡だ。

「気にすることはありませんよ、所縁くん。折角当たり障りの無い会話で盛り上がっていた場を一気に冷やしたからと言って、それが何の法に触れるわけでもありませんし」
 隣に立つ昏見(くらみ)が、にこやかにそう言ってくる。端々に感じる棘(とげ)は気のせいじゃないだろう。

「だって見たかよ、六原の奴。あの言葉の一つ一つに全く嘘が無かった。俺には分かる。本当に舞奏以外に何の興味も無いんだ。あいつ、本当にカミの為に舞奏競に出てる。どういう人生を送ってきたらああいう人間になるんだ? って思ったらさ……とにかく気に食わなかったんだよ」
 舞奏競に出る人間は、みんな叶えたい願いがあるんだと思っていた。その為に必死になるものなんだと。しかし、六原はそんなものには興味が無いという。彼の舞奏は、ただカミの為に捧げられるものだという。
 九条比鷺が口にしていたような他愛のない願いくらいあっていいはずだ。それなのに、六原には願いの片鱗すら見えない。それが舞奏にとって邪念であるとでも言いたげな、過剰なまでの清廉さ。
「願いも無いのに、舞奏の為に全てを投げ捨てようって目をしてた。それが俺には理解出来ない」
 元より負けられない戦いだったが、今回のことで一層そう思った。
 六原三言と皋は、どうしようもなく相容れない。だから、絶対に負けられない。唇を噛む皋の横で、昏見は微笑みながら続けた。
「でもね、所縁くん。君が感じているのはただの同族嫌悪ですよ。君だって似たようなものでしょう。自我より前の段階で、探偵であろうという傲慢さ。六原くんの場合は探偵の部分が覡に入れ替わっているだけです。似たもの同士なんですよ。自覚があるだけ所縁くんの方がマシなだけで。端から見てる人間からしたら、痛々しさは変わりません」
「そこも分かってる。分かってるから尚更嫌だ」
「でも、悪くないですよ。そういうのって探偵っぽいですもんね。あ、すいません。今の君は元・探偵でしたか。よく忘れちゃうんですよね~」
「……お前、実は俺のこと嫌いだったりする?」
「何を言ってるんですか。愛してなきゃこんなことしませんって」
 溜息を吐いて、ゆっくりと立ち上がる。こうしていても仕方が無い。気づけば萬燈の姿も見えないから、探しに行かないといけないだろう。いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。
 皋さん、と声を掛けられたのはその時だった。

   *

 修祓の儀を終えると、三言は自然と皋の姿を探した。
 負けたくない、と言った時の皋の表情が頭から離れなかったからだ。このまま別れるのは、何だか釈然としなかった。
「三言~、三言待ってよ、どこ行くの? 俺疲れたしソシャゲのデイリー回したい。てか遠流(とおる)もいないしさあ」

 比鷺がそう言って億劫(おっくう)そうに追いかけてくる。普段なら比鷺の言葉を優先させるところだが、今日はそうしなかった。目当ての人物は、境内の中にいた。隣には、あの昏見という人もいる。

「皋さん」
 声を掛けられた皋が、ゆっくりと振り返る。気に食わないという言葉に反して、皋の目はこちらを慮(おもんばか)っているようにも見えた。

「修祓の儀、無事に終わったみたいだな。なんか櫛魂は長かったみたいだけど──」
「俺は誰よりも舞奏に対して真摯に向き合っている自信があります。それに、遠流も比鷺も付いていてくれています。俺は、櫛魂衆が負けるとは思っていませんし、負けません。願いが無くても」
 言葉が自然と口を衝(つ)いて出た。

 察するに、皋は三言に本願が無いのが気に食わないらしい。だが、三言の中で、これがカミの為の舞奏であるという意識は変わらない。だから、多分皋とは相容れないのだろう。それは仕方ない。
 ただ『だから勝てない』とは言われたくなかった。何故なら、三言の隣には遠流も比鷺もいる。二人がついていてくれる。自分に足りないところがあっても、二人はそれを補ってくれる。
 だから、きっと負けたりしない。それを言う為に、三言はここまでやって来たのだ。
「それを言いにきたの? わざわざ?」
「そうです。俺の櫛魂衆は負けません」
「……お前、そういう妙なところの自我はあるんだな……。さっきまでお人形さんみたいに澄ましてたくせに」
 その時、皋がフッと柔らかい笑顔を見せた。幼さすら感じさせるような表情は、まるで別人のようでもある。ずっとそうしていればいいのに、と場違いなことを思う。
「横で聞いてたけど、皋さんもその言い方は無いんじゃないの!? 三言はお人形さんじゃないし! ちょこっとだけど我欲もあるし! 俺と遠流はそれをちゃんと知ってるから! ていうか我欲なら俺が三言の分まで抱えてんだからチャラだっての!」
 何か思うところあったのか、比鷺もいきなり話に割り込んでくる。
「比鷺、いきなり大声を出したら皋さんがびっくりするだろ」
「え? この流れで俺が怒られるの? マジで?」
「いや、そこで九条が怒られるのは流石に可哀想だろ。……でもまあ……少し安心したよ」
 そう言うと、皋は小さく息を吐いた。そのまま、射貫くような紫が三言を捉える。
「もう一度聞く。お前の本願は何だ? 六原」
 そう尋ねられた瞬間に、六原三言は初めて舞奏競というものを理解した。ややあって、三言ははっきりと言う。
「俺は本願がありません。カミに何かを叶えてもらおうとは思わない。でも、望むことなら出来ました。俺は、あなたに──闇夜衆に勝ちたい」
 競い合うことで技を高め、カミに至上の舞奏を捧げることが舞奏競だと思っていた。けれど、どうやらそうではないらしい。カミの為ではなく、自分の為に──願いの為に闘う人間もいるのだ。
 そういう人間は、どんな舞奏を奉じるのだろう。
「あのー、ちょっといいですか?」
 その時、ずっと黙っていた昏見が笑顔で言葉を挟んできた。
「なんかバチバチの雰囲気で言いづらいんですけど、これからご飯でもどうですかって八谷戸(やつやど)くんが言ってるんですけど。ご一緒しましょうよ。もしかしたら舞奏社が経費で落としてくれるかもですよ」

 それを聞いた瞬間、皋の表情が更に曇った。もう今日はあの笑顔が見られないのかもしれないな、と三言は思う。



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著:斜線堂有紀

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。



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