1.『続・平謝り』 〜格闘技界を狂わせた大晦日10年史〜
この10年間、格闘技は未曾有の盛り上がりを見せたが、結果的にそれを盛り上げたK-1もPRIDEも崩壊してしまった。そこには様々な原因があるが、良くも悪くも一番の原因は大晦日イベントにあった。テレビ局も含めて当事者の谷川貞治(元K-1イベントプロデューサー)が『平謝り』にも書いていない内幕を綴って、検証する。
●第8回 2003年 (後編) 曙vsボブ・サップの大逆転。遂に紅白越え!
2001年から始まった大晦日・格闘技。その一番の目的は、いかに紅白歌合戦に視聴率で迫り、勝つかということでした。それまでのテレビ史を見ても、紅白歌合戦の裏番組、民放各局は軒並み一桁台の視聴率。紅白に勝負するというムードさえ、当時の民放にはありませんでした。それまで紅白裏で一番視聴率をとったのは、コント55号の野球拳くらい。民放内では目玉番組さえ紅白と並べられると潰されてしまうため、人気番組のプロデューサーも避けていたのです。このことからも、いかに紅白がテレビ界の中で特殊な存在かを物語っているでしょう。
だから、TBSが「格闘技」で勝負しようとなった時、「K-1」と「猪木」という、格闘技では一番強いネーミングの二つの対抗戦にしました。翌年は「柔道金メダリスト」と「ボブ・サップ」という世間に届いている選手で勝負。結果的に紅白裏の歴代の視聴率を塗り替えましたが、紅白に迫るには、まだまだ程遠い数字です。
紅白とは国民的番組の最たるもの。ですから格闘技をやるにせよ、世間に届くもの、お茶の間に届くものでなければ意味がありません。格闘技関係者にも、いまだに「大晦日のイベントは客が入る」と勘違いしている人がいますが、そんなことはありません。普通の格闘技イベントを大晦日にやる意味は全くないし、大晦日だから客が入るということはまずないのです。大晦日だからこそ、テレビを意識し、紅白を意識したイベントにしないと盛り上がらないのです。
そういう意味では、元横綱で子供からおじいちゃんまで知っている曙は、紅白に対抗する格闘技イベントに最も合った存在でした。「よし、曙を口説こう!」。時間もないし、やるからには速攻で決断させなければならない。人に相談させたら迷いが出る。そう思ったら、いても立ってもいられず、僕は巡業先の福岡へアポなしで向かったのです。
曙を博多場所の朝稽古で待ち伏せし、アポなしで口説いた話は、これまで多くの場で語ってきましたので、皆さん、もうその経緯は知ってますよね? 僕は本当に電信柱の陰に呼び出し、いきなり金額の入った契約書を見せ、対戦相手はボブ・サップだと伝えました。
これまで僕は多くのアスリート、タレントを格闘技の世界に誘いましたが、試合に出るか出ないかはファースト・コンタクトでほぼ分かります。やらない人は、最初からそのようなオーラを発しますが、やる人は大抵誘った時に迷うのです。迷ったら、やる気がある証拠なのです。
室伏広治や若貴兄弟、朝青龍、竹原・畠山・辰吉、清原和博、井上康生、鈴木桂治、亀田父、和田アキ子と、本当に多くの人に声をかけましたが、「ワハハハ」と笑い飛ばされたり、「無理ですよ」とキッパリ断られたり、「やったるでぇ」と言われたり。でも、これはやらないなぁと、すぐに分かります。そういう時、僕は絶対に深追いはしません。しても無駄だからです。
でも、迷ったりする人は脈があります。吉田秀彦や秋山成勲、チェ・ホンマン、ボビー、曙がそうでした。曙は僕がざっと説明すると、無意識に電信柱にパンチをし、第一声で「ボブ・サップかぁ」とつぶやいたのです。おお、これはやるな。僕は曙のその能天気で、ハワイアン的な反応に逆に驚いたものです。