1.『続・平謝り』 〜格闘技界を狂わせた大晦日10年史〜
この10年間、格闘技は未曾有の盛り上がりを見せたが、結果的にそれを盛り上げたK-1もPRIDEも崩壊してしまった。そこには様々な原因があるが、良くも悪くも一番の原因は大晦日イベントにあった。テレビ局も含めて当事者の谷川貞治(元K-1イベントプロデューサー)が『平謝り』にも書いていない内幕を綴って、検証する。
●第20回 2007年(中編) 戦極誕生。PRIDEチームとの電撃合体!
石井館長が収監されたのは、この年の館長の誕生日の次の日でした。館長の仲の良いお友達と盛大なパーティーをやり、何軒か梯子し、最後は館長の自宅で朝方まで飲みました。館長は全然酔えない感じでしたし、みんな冗談は言うものの、しんみりしていました。そして一旦家に帰り、ロクに寝ないまま朝10時に再び館長の自宅に集まって、見送りました。
「谷川さん、頑張ってよ。すごく成功していい車で迎えに来てよ」
「館長、お体だけは壊さないように。僕らも頑張ります!」
僕は基本的に石井館長のことが大好きでしたし、この時は館長が気の毒だと思う気持ちと、本当に頼れる人がいなくなるので、頑張らなきゃいけないと身を引き締める思いでした。この数年間、本当にいろんなことがありました。猪木さんチームと、PRIDEチームを合体させて、大晦日の格闘技イベントを開催し、空前のブームを作りました。しかし、森下社長の死と石井館長の逮捕で歯車が狂い、いろんな人間も入ってきて、K-1とPRIDEが戦争を起こすことにもなりました。しかし、その全てがこの年に収まりそうになっていました。そういうことを考えながら、石井館長を見送ったことをよく覚えています。
さて、石井館長が収監される前に二つの出来事が起こりました。
一つは大手ディスカウントショップの「ドン・キホーテ」の安田会長との出会いです。安田会長は石井館長から紹介されました。当時、安田会長はPRIDEの存続が危ないと聞き、バラさんらと会って買収の話をしていたのですが、条件が折り合わず、石井館長が「HERO'Sを買いませんか?」と話を持ちかけたのです。安田会長は格闘技を愛している方で、僕なんかより全然試合も見ているし、詳しい人でした。安田会長と、のちに戦極をともに立ち上げるYさんと何度か打ち合わせをしました。特に安田会長はアマチュアレスリングの福田会長と仲が良かったので、僕はアマチュアとの合体には凄く興味がありました。レスリング協会や柔道連盟と提携すれば、凄いMMA団体ができると思っていたからです。
しかし、そんな中、PRIDEが突然身売り。また、石井館長もいなくなってしまったので、話が中途半端になってしまい、安田会長はHERO'Sをやるのではなく、新たにPRIDEの後継団体を旗揚げすることを決意したのです。旗揚げの記者会見の前に、僕はYさんに呼ばれて「こういう風になったけど、お互い協力してやって行きましょう!」と事情を説明されました。実行部隊としては、これも安田会長と親しい吉田道場の社長、国保さんがやることになったのです。それが「戦極」というイベントでした。旗揚げ戦も吉田秀彦、藤田和之、五味隆典、三崎和雄らPRIDEの主力選手が参戦して盛大に行われましたが、こうなった以上、僕は少し様子を見るしかないなと思いました。
もう一つの出来事は、PRIDE最終戦の前に、突然バラさんから電話がかかってきたことです。それは2003年にバラさんと喧嘩別れして以来の会話でした。携帯の着信を見た時は驚くとともに、「なんだろう?」と思いながら出たものです。
「谷川さん、ひさしぶり。突然だけど、PRIDEは次の大会が最後になっちゃったんだよ。で、お願いしたいんだけど、サクちゃんを貸してくれない?」
「何年も会話していなかったのに、いきなりなんだよ」と思いました。
「貸すって、試合のこと?」
「そうそう」
「あと1週間しかないじゃない? 無理なこと言うなぁ。サクちゃんの気持ちもあるし、TBSにも断らないとね。ちなみに誰とやらせるの?」
「田村か、ヴァンダレイを考えているんだけど」
「ええっ? むちゃくちゃ言うなぁ」