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礼讃・第59回「十八歳のギャンブラー」①
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礼讃・第59回「十八歳のギャンブラー」①

2014-12-29 13:00

    十八歳のギャンブラー

    祐天寺のアパートにテレビが設置されると、生活の拠点が目黒になった。健ちゃんが、私のアパートから仕事に通う日が多くなったからである。

    仕事を終え、家でビールを飲みながらプロ野球のナイターやJリーグ中継を見るのが好きな健ちゃんは、テレビのない部屋は居心地が悪かったらしい。

    相変わらず、毎日健ちゃんとセックスをしていた。

    テレビが設置され、私はまずJRAの電話投票システム、PATの会員に申し込んだ。抽選に当たり、競馬場やウインズに行かなくても馬券が買えるようになった。

     1994年(平成六年)にはグリーンチャンネルの契約をした。JRAの電話投票会員であることが加入条件で、視聴料金は月額二千円だった。CSアナログの受信機器を揃え、私は運よく試験配信から見ることができた。

    朝の七時から競馬情報を見るのが習慣になった。財団法人競馬・農林水産情報衛星通信機構が運営しているチャンネルなので、畜産や農業関連の番組もあるのが面白かった。中央競馬の全レースを中継し、週末はその日の全競争をノーカットで再放送し、競走成績と払戻金が静止画面で流される。

    月曜からの平日は、先週のレースリプレイや結果分析、調教VTRや今週の特別競走の参考レース、今週出走予定の有力馬の直近のレースなどが紹介され、スポーツ新聞と競馬雑誌も読みながら検討していると、週末に向けて気持ちが上がってくる。競走馬を題材としたドキュメンタリーや、栄光の名馬セレクション、地方や海外競馬の最新情報も楽しみだった。

     動画で、その日のトレセン調教レポートを見れることは、馬券検討にとても役立った。

     私はこの年、公営ギャンブルは全て体験した。オートレースだけは、音がうるさくて一度で懲りたが、競艇と競輪は旅打ちするまで嵌まった。

     ギャンブルするために旅行をするということが楽しくて仕方なかった。このままギャンブルだけして暮らせたらどんなに良いだろう、と本気で思っていた。

    旅打ちは、必ず男性と一緒だった。この年に出会った男性とは恋愛とセックスがない関係で、長く続いた。

     賭場では、その人の本質が丸裸になる。負けた時に、その人の品や人間性まで浮き彫りにされる。生き方や心根まで見える賭場で築かれた友情は、強固である。

    綺麗に遊べる人はそう多くないことを十八で知った。

    同世代の女性と接する機会が全くない生活を送っていた。

     旅打ちに出ると、日中は公営ギャンブルで、夜は麻雀とチンチロリンで朝になる。

     彼らはピンフとタンヤオの違いをやっとおぼえた麻雀初心者の私相手に、チョンボを許さず、マンガン払いさせ、赤く塗られた牌が入っていたり、二翻しばりをされたり、ダブロンやトリロンありで、振り込んだ私は一気に三人へ支払うことになったり、いつも四位の私は、ワンスリーのウマで一位の人に三万点支払うことになるローカル・ルール満載の高レート麻雀を本気で打つ。

    「十八歳の私から和了るなんて大人げない」

    と、目に涙を溜めて訴える私に、

    「女子供だからって、俺達が気を遣ったら、花菜ちゃんも打ち方が窮屈になるだろう。博打は本気でやらなくちゃつまらんよ」

    と、車券師のおじさんに言われ、そういうものかと納得した。

    競輪で怪我をし、麻雀で火傷をした私は、チンチロリンで傷を癒やした。一万の次は二万とレートを倍付けし、百万負けても勝つまで下りなかった。

     
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