ある日突然、教授が「次のテストは滅茶苦茶難しいぞ。でも大丈夫。犯罪じゃなければカンニングしても構わないから。」と言ったら、生徒達はどうするでしょうか。せっせとカンニングペーパー作りに勤しむ? 成績の良い友達に助けてもらうよう交渉する? 教授から「カンニング全然オーケー」と言われても、何から始めたら良いのか分からなくなりますよね。実は、この突拍子も無い提案は、教授が考えたゲーム倫理を学ぶためのアプローチなんだそうです。
それでは、以下から詳細をどうぞ。
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カリフォルニア大学ロサンゼルス校のピーター・ノナクス教授は、行動生態学コースの一貫で、進化と自然淘汰はどちらが勝つのか、つまるところゲームになるのではないかというゲーム倫理を教えています。そんな彼が、「ポピュラーサイエンス」に掲載された文章の中で、生徒達にカンニングさせるという非伝統的アプローチについて語っています。
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去年、私はゲーム倫理の授業の準備をしていた時、興味深いことを考えつきました。テストは、教育というゲームを測る為にあります。教授は、テストをすることで自分たちの教えが成功したのかを測り、生徒達は学んだことが身になっているかを、良い成績を取ることで測ります。そして、これらのゴールを最大で得る為にはどうしたら良いのか? を考えました。もし、わたしが生徒達に自分でルールを定めたテストの受け方というゲームを書かせたらどうなるのでしょう? もし、わたし達が言う所のカンニングを許したとしたら?
わたしは、テストの一週間前に、生徒達にゲーム倫理のテストは笑っちゃうくらい難しくする、これまでに無いほど難しくすると伝えました。その代わり、今回に限り生徒はカンニングしても構わないとも言いました。何を持って来ても、誰を連れて来ても良いと言いました。動物行動の権威が街に居たら、連れて来たって構わないとすら言いました。ネット検索しても良いし、この授業を取ったことのある友達に電話して助けを求めても構わない。わたしに賄賂を渡したって良い(勿論、私は賄賂なんて受け取りませんし、学部長に報告することもしません)。わたしが禁止したことは、犯罪だけ。例えば、わたしの愛犬を誘拐する、脅迫状を送る、もしくは暴力を振るう等です。
教室にはなんとも言えない空気が漂い、生徒達は困惑しているようでした。冗談に決まっている、どう考えても私がカンニングして良いと言い出すはずが無いと思ったようなのです。そして生徒達は、「何かあったのですか? 」と尋ねて来ました。
私は、「無いよ。君らはUCLAの学生だ。エリート中のエリートだ。そんな君たちが、カンニングをしてもいい、どんな手段を取っても可能な限りのベストアンサーを出せば良いと言われたらどうするかを見てみたいのだ。」と言いました。
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そして戸惑いを隠せない生徒達に、教授はこのアイディアの種明かしをしたのです。
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私の話を聞いて、生徒達は驚いたようですが、直に落ち着きを取り戻しました。ディスカッションで、生徒達は推測し、まとめ、そして企てました。どんな戦略が効果的か? 誰かと協力することで点数をあげることは出来るのか? 大規模グループは、特定のタスクを与えられた小規模グループより良い結果を残すのか? 何にも準備していない生徒が、デキる生徒のテストをカンニングしたら? 業績をシェアする為に、幾らか支払う必要が出て来るのか? テストが、食うか食われるかのハンガーゲームになる? 要するに、生徒達は、このようなことを考えることで、生のゲーム倫理を学ぶことが出来たのです。殆ど、まともな会話すら交わしたことの無い真面目な生徒達が、頭のオカしい教授が言い出したトンでもないスキームを叩きのめす為に、一丸となりました。
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そうして、テストの日はやってきました。質問は「もし、自然淘汰を経た進化がゲームなら、プレイヤーやチーム、ルール、目標、そして成果は何になるでしょうか? 」というもの。生徒達は考えうる様々なアプローチでこのテストに挑み、素晴らしい成績を残したのだそうです。
ノナクス氏の方法論とアプローチ、結果の詳細は「ポピュラーサイエンス(英文)」でどうぞ。
(中川真知子)
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