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歴史を背負った憲法論議と国防論議を!|久野潤チャンネルブロマガ
久野です。5月3日は、「憲法記念日」ですね。現行憲法に不満をもつ人の中には、近年「ご(5)み(3)の日」と呼ぶ向きもあるようです。私ももちろん不満をもつ国民の一人ですが、同時に国民であるがゆえに、手放しで「あんな占領軍の押し付け憲法はゴミや!」「憲法記念日なんて祝わんぞ!」と言えない複雑な思いです。先帝陛下によって公布された現行憲法は70年間、占領終了から数えても65年間にわたって日本人自身が保持し続けた厳然たる歴史の上に成り立っています。我々は、自分が生まれる前にできた憲法や法律をなぜ守らなければならないか?それは、いかに気に喰わない内容であっても、かつて同じ日本国民が作った(ことになっている)ものとして歴史上の“共同責任”を負っているからです。70年前の日本国民と、今の我々は、決して別モノの存在ではないのですもちろん、国会の多数決で決めるのがなんでも正しいなんて言っているわけではありません。しかし気に喰わないから自分たちはヤダというだけでは、行き着くところは、正当な手続きによって改正される日米安保にあくまで「反対」して(彼らが掲げた理想と裏腹に)死者まで出した国会前デモの再現ではないでしょうか。護憲派以外の方々にとって(護憲派にとっても!?)、この70年は憲法を考えるうえで悔恨の歴史であったでしょう。それでもこの70年というのは、あの大東亜戦争と今の我々とをつないでくれる大切な架け橋となる歴史の流れなんです。命がけで戦ってくれた尊い先人たちが護ろうとした日本、まさにその日本の国のかたちを正すのが憲法論議であって、決して「あーしたいこーしたい」という個人の好き嫌いの話ではありません。5月3日とは、憲法に対する思想に関わらず、この70年という他ならぬ日本人が選択して歩んできた道筋について我々が“共同責任”と受け止めて臨むべき日だと思っています。本当の意味で自分たち自身の憲法を取り戻せるその日まで・・・。さて、国をまもってきた先人の歴史を伝える【久野潤チャンネル】――今週金曜日は再び「日本海軍の実力」シリーズの第五弾として、ミッドウェー海戦を取り上げます。教科書にも出てくる有名な戦いですが、ちょっと詳しい方がかえって誤解しがちなところなどもしっかりお伝えします。ぜひご覧下さい♪( 久野 潤 ) -
今週は近代を作った群像(2)薩摩編」です。|久野潤チャンネルブロマガ
久野です。【久野潤チャンネル】では先週から、「近代を作った群像」と題したシリーズでお送りしています。第一弾〈長州藩〉では、最近はやりの幕末陰謀論の問題点を指摘しながら、前史を踏まえて長州藩の動向や志士達の奮闘をお伝えしました。「通説通りでおもしろくない」と思われた部分もあったかもしれませんが、戦後しばらく学界主流では「明治維新は封建制度を残した」「中国・朝鮮に対する侵略を開始するきっかけになった」といった散々な評価がまかり通っていたことも忘れてはいけません。そして、そのワルの主役が長州藩・薩摩藩といった位置づけでした。「そんなバカな」と思った方は、たとえば丸山真男『尊攘思想と絶対主義』、あるいは遠山茂樹『明治維新』(共に東大の先生)あたりでも読んでみて下さい。私がしばしば「戦前はこういう風に言われてましたよ」と取り上げるのも、別に戦前が何でもかんでも正しかったって思っているわけではなくて、そうした特定イデオロギーの影響を受けた“エリート”たちの思想が蔓延・再生産されてあたかも「通説」であるべきであるような状況が作り出されてきたことを踏まえてのものです。「戦前だって特定イデオロギーでコリ固まってたじゃないかー」という反論が聞こえてきそうですが、戦前は結果として、たとえば王政復古時に幕府方に味方した人物たちに対する国を挙げての名誉回復の時代でもありました。一方で、戦後の日本で新たに形成された「日本は侵略戦争をした」「南京大虐殺をやった」「国家・軍隊として慰安婦を強制連行した」――長らく教科書に書かれ続けて定式化してしまったことについての名誉回復は、公に行われているでしょうか?比較の問題ではありますが、よりスナオに過去を振り返り、それなりに反省も行われた戦前日本での歴史観を再評価したいところです。それ抜きに幕末以降の国史も語れないでしょう。今週の【久野潤チャンネル】は「近代を作った群像」第二弾の薩摩編です、ぜひご覧下さい♪
( 久野 潤 ) -
今週は近代を作った群像(1)長州編」です。|久野潤チャンネルブロマガ
久野です。戦後は「明治維新」と呼ばれがちになった、幕末から王政復古を経て近代化した過程は、我が国の歴史においても誇るべき軌跡です。近代化に成功したどの国も、結果で見ると「王様や皇帝にちょっと引っ込んどいてもらう」ことで厳しい国際社会を生き抜いてきました。ところが日本だけは逆に、君主制としての建国の原点に立ち戻るという方法によって難局を切り抜けました。王政復古の大号令の中でも、「諸事神武創業之始ニ原キ」と述べられていることが知られています。そのおかげで、我が国はフランス革命やロシア革命のようなものを引き起こすこともありませんでした。たまに「日本は革命を経験していないから(≒国民でよってたかって天皇を引きずりおろすことがなかったから)本当の民主主義国家ではない」などと言う全共闘世代の論者もいますが、2000年以上にわたって同じ国のかたちが続いてくれたことに対する感謝や畏敬の念がないとしか言い様がありません。戦後は王政復古すらもやや否定的に捉えられ、日本が“日清日露戦争という侵略戦争”を行う下準備であったかのような学問的主張が為されてきました。近年の幕末ブームも手伝ってか、ようやくそれらも下火になってきましたが、今度は「明治維新は長州藩による謀略であった」という主張が注目を浴びるようになってきています。戊辰戦争の時など、相手方を挑発し破るための数々の謀略があったことは間違いありませんが、極端なものでは「明治天皇は長州藩士がすり替わった」とまで主張されています。これが本当ならば、すでに今の日本は皇統に連なる天皇を戴く(戴いてきたと国民が信じて国家を支える)日本とは言えません。これはもう、「明治政府の中心となった長州・薩摩から見た歴史観がなんでも正しいのか?」といったレベルの話ではないのです。形を変えた王政復古批判、あるいは隠れ蓑を着た自虐史観とでも言えましょうか。【久野潤チャンネル】では今週から、「近代を作った群像」と題したシリーズでお送ります。第一弾は長州藩です、このような議論の中で王政復古(明治維新)の価値に自信がもてなくなっている方もぜひご覧下さい♪
( 久野 潤 )
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