荷をほどいたと同時に、野山の力強い香りが鼻先に広がった。差出人は群馬県渋川市の見城さん。幻の洋梨と呼ばれるコミスなどを栽培されている果樹農家だ。誰よりも自分で食べたいから育てるという本物のグルメであり、山の達人でもある見城さんは春のこの時期になると、自ら野山で摘んだ山菜をどっさりと届けて下さる。「いいの、いいの、レストランに頼まれたのを送るついでだから」とおっしゃってくれるけれど、そのレストランや料理人の方の名前を聞けば聞くほど、同じ食材が素人料理人である僕らのところに届けられるのがさらに申し訳なくなってしまう。
今年届けて下さったのは、
コメント
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春の山菜づくしが、贅沢な食べ物になってしまったのはいつ頃からでしょうか?祖母がいた頃は、御近所の山にいけば、いつでも採れ、香りを感じ、季節を感じたこの上ないひとときだったのに、山が削られ宅地になり、里山に入れなくなり、今ではタケノコを掘りにいくぐらいしかできなくなってしまいました。
小原さんの食卓、羨ましいです♪味わいかたもシンプル、盛り付けもきれいでとっても美味しそう!
私も週末タケノコ掘りにいって、そのまま炭火で焼きたけのこをしました。
クレープ食べるみたいに皮をはぎながら、
ワイルドにわさび醤油につけながらがぶりついてました(笑)。 毎年自然からいただいた恵みをほおばりながら、すこしづつでもこの地域の数少ない自然を、上の世代から守っていかなきゃと、そして、次世代へつなげなければと思っています。何ができるかわからないけれど、お手伝いでこることはして、雑草とりでもなんでも、少しずつ少しずつ。
山菜がいっぱいですね。羨ましいです。
我が家でも山椒の葉を育てていますよ。筍のお寿司にちょっと添えたり、木の芽和えにしたりして楽しんでいます。
子供の頃はよく家族でヨモギつみに行ったり、蕨取りに行ったり、山吹を取りに行ったりと山菜を取りに出掛けていました。取った山菜は、ヨモギ餅、蕨の焚き物、山吹と昆布の佃煮などにして家族で自然からの恵みをいただいていました。
今は、山に取りに入ると怒られるところが多くなり、家族でも行くことはなくなりました。根こそぎ取られると来年芽を出さないのが理由だそうですが、なんだかさみしい限りで。
そんな昨今ですが、山菜を口にすると、春をいっぱい感じられるそんな自分は変わらないものです。
季節感を大事にしたいものです。
>>1
江戸時代のような飢饉にでもならなければ、人がまた里山の恵みの大切さに気づくことはないのかなと考えてしまいます。
>>2
別の山の達人の方が以前「山菜の採れる場所は家族にも教えないんだ」とおっしゃっていました。昔からそうやって大切に守られて来たんだなぁと感心しました。