僕らは「いのち」を食べて生きている。それは紛れもない事実だ。しかし、僕らはその真実にモザイクを掛けたような日々を生きている。モザイクの下で行われていることを僕らが見ることはほとんどない。だからモザイクの下にどれほどの矛盾や欺瞞があったとしても、僕らはそのことに気づかないし、知ることもない。けれど、隠しても隠しきれないものもある。それは
草の根広告社
「いのちを食べて、僕らは生きる。」
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コメント
コメントを書く太古の昔、人々は自分たちが食べるものは自分たちで狩りをし、採集をし、生きのびるために自分たちの命も懸けていたんですよね。本来あるべきいのちの連鎖ですね。そういう時代に戻ることはすでに不可能だとしても、そのことに思いを馳せてお食事をいただくということをもっともっとやれたら、消費者の意識も変わっていくのかなと思います。いのちを頂いていることをお客様にも実感してほしいという室田さんの考え方とそれを実践しておられる姿勢がまぶしいです。
>>2
たとえばテレビでは魚を捌くところは放送するのに、牛や豚や鶏を解体するところは放送しません。以前スペインで取材した闘牛も「真実の瞬間」と呼ばれている刺殺の瞬間は放送できませんでした。でも、タレントがステーキを食べて「おいしい」と言っているところは放送します。僕はずっとおかしいな、と思っていて、事あるごとに放送局の方に「どうしてなんですか?」と訊くんですが、明確な答えを返してくれる人に出逢ったことがありません。ある人は「視聴率が取れないからじゃないか?」と言っていましたが、視聴率が取れない=視聴者が見たくないものだとすれば、彼らが食べている肉はいったい何なのだろうと考えてしまうんですが、どうやらそういう僕の方がマイノリティみたいです。
確かに魚を捌くシーンは放送出来て、動物を捌くシーンは放送出来ないっておかしな話ではありますね。しかし正直、動物が解体される場面を見たあとにおいしくいただくのは辛いかな。でも、辛いと思うのは貴重な命をいただいていることがわかっているからなのだと思うのですが。魚に対して思わないのは、小さい頃からおうちで母が捌くのを見ているからなのでしょうか…それとも同じ哺乳類としての勝手な同情からくる感情があるからなのでしょうか…
「真実の瞬間」を受け入れ、そしてその命に感謝しおいしくいただく、それが出来るようになれれば、無駄にしない人になれるのでしょうね。