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一段と冷えた秋風が音もなく胸を通り抜けるとき、そこに「夏の喪失感」があることをまざまざと思い知らされる。喪失感について考えるたびに「無い」のに「有る」というのもなんとも不思議だなと思うのだけれど。それはともかく、暑さが残っているうちは夏の命が終わったことを実感し難かったのだろう。暦の上ではとっくに秋だったのに。
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「ない」ことが「ある」という感覚は、日本的な感覚だと聞いたことがあります。
「しーん」という擬態語は、英語圏の人たちにとって驚きだ、と。
恙なくとか、無事とか、
そんな言葉を思い出しました。
小原信治(著者)
>>1
「0(ゼロ)」の発明は数学の進歩に多大なる影響を与えたそうです。「無い」ことが「有る」。数学的でありながら文学・哲学的な感覚ですよね。
夏が過ぎ秋になるころ、喪失感に陥ることがあります。何を失ったと具体的にあるわけではないのですが、木の葉の色がかわりゆく秋はなんだか寂しいですね。私もこの喪失感や寂しさは嫌いではありませんが。
お子さん、もうすぐなんですね。1人になれる時間がなかなかないと思いますが、今までとは違う新しい感覚がでてくるのではないでしょうか。
小原信治(著者)
>>3
準備も整ってあとは無事を祈るだけ、という日々です。とても静かな時間です。