ここに1970年製のパソコンが2台ある(たとえ話だ。1970年に一般ユーザーが使えるようなパソコンは存在していない)。そしてもう一台、2010年製のパソコンがある。こちらは出荷時から新しいOSを搭載している。1970年製の2台のパソコンのうち1台は新しいOSにアップデートした。中には対応していないアプリケーションもあったけれど、それでもなんとかアップデートを完了した。もう一台の方はアップデートされていない。いや、OSがアップデートされていることさえ通知されていない。だから1970年製のままだ。
さて、この3台のパソコンがネットで繋がってコミュニケーションを取る(くどいようだがたとえ話だ。1970 年製のアップデートされていないパソコンもネットには繋がるとする。電話回線を使ったおそろしく遅いものかもしれないけれど)。3台のやりとりの間でそれぞれどういった問題が発生するかパソコンを使っている人であれば大方予測がつくだろう。
前置きが長くなったけれど、同じようなことが僕らの社会でも起きている。
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私が30年くらい前に受けた教育と現代の教育はかなり違うそうですね。教育として平等を身に付けた彼ら彼女らをいつの日か社会人として受け入れる私たち。価値観や考え方の相違でいろんな問題が生じるかもしれませんね。
社会的価値観に答えはないので、将来どうなっていくのか、不安を覚えます。
300年後の教科書に(教科書というものがあれば)
今の時代はどう書かれるのでしょうね。
「コンピューター、ネットの発明、普及に伴い
経済をはじめとする社会シムテムから
娯楽、日常生活すべてが大きく変革した。
第三次産業革命(IT革命)と呼ばれる。」
そんな大きな過渡期を生きているのでしょうか。
次世代へより良い社会を託すために
自分に何ができるかなって思いました。
>>1
僕もそう思いました。だから彼らが何を学んでいるのか知っておかなければならないし、そこにある良い価値観は学んでおかなきゃいけないなあと。古い価値観や手法にしがみついていると五輪会長の元総理みたいに「老害」と言われる社会ですからね。
>>2
人間が進化し続ける限りどの時代も何らかの過渡期なんだろうなと思います。まずは何がどう変わっていっていっているのかをしっかり知ることが大事なんじゃないかなといつも思っています。受け入れるかどうかは別として。