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人生は自分の為だけにある。ずっとそう思っていた。そう言い切ってしまうと大袈裟かもしれないけれど、両親だけは僕のことをそういう人間だと思っていたんじゃないだろうか。人生を「時間」と定義するならば、その「限られた時間」は自分の為だけにある。30代まではむしろそう生きることを意識していたし、意識していたからこそ社会の為、組織の為、他人の為に大切な時間を使うことを強要される(イメージのある)就職はしなかった。ペットを飼ったことも、凍てつくスタンドで鼻を啜りながらフィールドを駆け回って大金を稼ぐアスリートを夢中になって応援したこともない。もちろん、家族の為に生きたことも。
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お子さんが気付きを与えてくれたんですね。「生きる歓び」を感じることができるってすごいなと。
「人生は自分の為だけにある。」私もきっとそう思って今を生きていると思います。
おはようございます(*^-^*)子どものためなら何でも出来る。どんなに生意気でも愛おしい。子どもの成長が楽しみ。辛いことは少しでも私がもらいたい。それが自分にとって幸せなこと。そんな風に思いながら、来年には成人する息子がいます。あっという間なので、毎日を大事にしてくださいね(*^^*)
小原信治(著者)
>>1
そう思い続けたまま死ななくて良かったな、という歓びとそう思い続けたまま死にたかったなという淋しさとが入り交じった気持ちですね、今は。後悔だけはしていませんが。どっちも幸せですもんね。
小原信治(著者)
>>2
ありがとうございます。自分のことだけでもあっと言う間に1年が経っていたのに、子育てに携わっていると今まで以上に時間があっと言う間になるんですね。あっと言う間の1ヶ月でした。怖い怖い。