たとえば、ゆでたまごは黄身も白身も食べられるのに、目玉焼きは黄身しか食べられないこととか、チーズが嫌いなのにピザは好きだったりとか。「日本は1951年に独立しました」と教える先生の声が校庭の上を飛ぶ米軍機の爆音に掻き消されてしまうのが理解できなかったことや、法律そのものと現実の乖離に引っ掛かってしまって法学部の勉強がまるで進まなかったこと。さらには人生において結果的にいつも少数派を支持したり選んだりしているのは確固たる主義主張があるわけではなく、単に集団や行列が嫌いな天の邪鬼だからだということ等々、挙げたらキリがないけれど、とにかく子供の頃から面倒くさい子供だと言われ続けてきた。
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おはようございます。「面倒」は「丁寧」とつながり、それは「一人一人を大切にする」ことと同じだと思います。「面倒」、OKです。
面倒な自分を理解していれば、他の面倒な人と思われている人のことも理解できるし、そこから得られる何かもありますよ。
みんな一緒じゃないといけないとなったら、軍国主義のような体制をとらないといけなくなりますよね。
>>1
面倒を丁寧と思ってくれればいいんですけどねえ。時に女性からは面倒が面倒臭いと言われて嫌われることが多いです。政治的な話では特に。テレビの視聴率に限った話ですが、女性は男性に比べて政治的な番組をほぼ視聴してくれません。決して他人事ではないのにどうしてだろうと思っているのですが、それとも関係があるのでしょうか。それとも単に政治に関わっているおじさんたちのことが生理的に嫌だから、なんでしょうか。とこういうところが面倒臭いらしいです。
>>2
かなしいかな、そういう方向に進んでますよね。みんな一緒になれという集団による無意識の圧力を一般の人々からもひしひしと感じています。