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子供の頃からずっとひとりだったからだろうか。「我々」という集団に対して常に懐疑心と恐怖心がある。暴走族や暴力団など社会にとって悪しき集団はもちろん、デモや政党など自分たちを良きものとして活動している人たちも「私は」という主語で正義を説く一個人としては平気なのだけれど、ひとたび「我々」という主語で同じ事を語られるとどうにも身構えてしまう。
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人は集団化することで暴徒と化す。だから戦争が勃発するのかと。
個々の意見が認められることで、集団化の大きさも小さくなり、国家ぎ誤った方向に向かうこともないのかと。
小原信治(著者)
>>1
そう思いますが、現実は集団の一員になりたがる、というか孤独を避けたがる人が大多数なんですよね。