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海岸というのは自由使用が原則だ。本来は誰のものでもない。みんながお互いを尊重し合い、譲り合って利用できれば何の問題もないのだけれど、哀しいかな人間の中には余裕がなくなると自分さえ良ければいいという我が強くなる人たちもいる。だから日本では人が押し寄せる夏場を中心に一定のルールを敷いている海岸がほとんどだ。これにより海水浴客、マリンレジャー客及びその事業者、そして漁業関係者と地域住民の公平性を生活を行政が守っているのである。
そんな日本の海岸の現実と理想を僕は2001年に「早乙女タイフーン」というドラマの脚本を書いた時に学んだ。くじらいいく子さんの漫画を原作とする、海と人間の命を守るライフセーバーたちの物語だ。
こう見えても性善説で無政府主義者の僕が達した結論は「海岸にルールなんかなければいいのに」。そして十年の時を経て出会ったのが今暮らしている集落の海岸だ。数年前に海水浴場としては閉
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収益重視、利益重視。全てがお金重視の世の中、地元が崩されて行くようなお話だな、と読んでいて思いました。片側目線なのかもしれませんが。
都議選、部外者ですが、支持されないような行政をしてきた結果を飲み込めないどうしようもない人の発言ですね。こんな人たち に支えられてあなたの今があるのですが。
小原信治(著者)
>>1
政治家には少なからず選んだ国民自身の空気が大きく反映されるものなのだなあと総理大臣の「こんな人たち」という発言を見て感じました。ネットで気に入らない集団を「あんな奴ら」と揶揄している姿そのままのような。政治家が醜いとか、世の中が殺伐としていると感じるのは僕ら自身が醜くて殺伐としているのかもしれないなあと。