閉じる
閉じる
×
あたらしい言葉を知るのはいくつになっても新鮮な喜びに満ちている。またそれは書物で出逢うよりも、たとえば見上げた空や雲の表情などに、今まで知っていたものより適確な言葉を探したときに出逢う方が嬉しいし、深く心に刻まれる。
この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
入会して購読
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
コメント
コメントを書く
おはようございます。「愛する女性に翻弄される」なんて、幸せですね。「ぷっちゃぴー」という言葉に意味はないのだと思います。語感(口当たり)が良いので、発音すること自体が楽しいのと、それを発音したときの周りの人たちの反応が楽しいからではないでしょうか?「言葉は、意味を伝達する手段」などという理解は、大人だけの考え方なのかも知れませんね。
小原信治(著者)
>>1
確かに小島よしおさんの「おっぱっぴー」にも意味ないですもんね。バカボンパパじゃないですが、もっと自由に意味はないけど発音して楽しい言葉を生み出して使いたいと思いました。言葉の常識に縛られてる自分がつまらないなあと思いましたね。
>>2
もうすでにご存知かもしれませんが、『もけら もけら』(山下洋輔・著 元永定正・絵)という絵本も、意味はないけど語感の楽しい言葉がいっぱいで、おすすめです。大人にとっては、「何だ、これ?」なのですが、子どもは「もう一回読んで!」と何度もせがんできます。よろしければ、ぜひ。
小原信治(著者)
>>3
知りませんでした、ありがとうございます。早速読んでみたいと思います。人間は生まれながらに天才だし完成しているんですね。常識で縛って型にはめる先人がどんどん角を取ってつまらなくしていく。まだ何も知らない娘を見ていると社会に適応させること、することがつくづく嫌になります。自由でいて欲しいです。