何もしないことを実践するにおいて海ほど適した場所はあるだろうか。あるいは山もそうなのかもしれないけれどそれを語れるほど僕は山を知らない。だから海についてだけ語りたいと思う。何もしないことを実践する場としての海を。
ここで言う「何もしない」というのは「社会との接続を断つこと」だ。二〇二〇年代に生きている僕らはかつてないほどの情報の渦に晒されている。テレビ。ネット。広告。目に入ってくる文字を追っているだけでも僕らの脳は情報を処理し続けている。酒飲みにとって肝臓を休ませる休肝日が必要なように脳にも休みが必要なのは自明の理だ。眠ることがそれに当たるのだけれど、体力的にも二十四時間眠り続けることはできない。そう思うと脳を休ませなければという焦燥感にすら駆られる。駆られながら一年間走り続けている。脳の休日。休肝日ならぬ休脳日。そんな脳のメンテナンス日が僕にとっては一月二日だ。一年三六五日のうち一月二日だけは本当に何もしない。テレビも見ないし、パソコンやスマホも開かない。メールも見ない。映画も見ないし、音楽もラジオも聴かない。本も新聞も読まない。去年から持ち越した原稿のことも、今年の仕事のこともあえて何も考えない。