「賽の河原」という言葉を知ったのは、子供のころ夢中になって読んだ漫画『銀河鉄道999』だ。
舞台は「賽の河原」と呼ばれる石ころだらけの乾いた惑星。主人公の星野鉄郎は、誰もが口を揃えて「不毛の大地」と呼ぶその星を緑豊かな大地に変えようと、たったひとり地面を耕し、種を蒔き続ける権兵衛と出逢う。驚くべきは彼が肥料として撒いていたのが志半ばに死んでいった同士たちの遺体だったことだ。しかし、その表情が皆「やるだけやって満足そうに笑っている」のを見て、そして、生き残った権兵衛がその志を受け継いでがんばっているのを見て、鉄郎はこう感じる。
「『賽の河原じゃないか』と何もせずに人の努力を嘲笑うだけのバカより、たとえ不毛でも未来を信じて一生懸命働き続けている彼らの方がよっぽど立派だよ」
「賽の河原」を辞書で調べたら「無駄な努力のたとえ」とあった。
週末、「湘南国際村 めぐりの森」で行われた”あるボランティア”に参加した。
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「たとえ不毛でも未来を信じて一生懸命働き続けている彼らの方がよっぽど立派だよ」鉄郎の言葉、すごく心に響きます。
再生のために努力することは必ず遠くても未来に続いていくのではないでしょうか。時代背景に併せた姿になっても続いていくのでしょうね。
自然の再生だけではなく、社会全体の再生も同じなのでしょうね。
おはようございます。そしてお疲れさまでした。湘南国際村。あの広大な場所に、どれくらいの木々と動物、鳥たちが住んでいたんだろうと通る度に今でも感じています。植樹ボランティアがあることは知っていましたが、腐葉土になる苗木をおいていく作業があるとは。気の遠くなるような作業ですね。
自然が多く、都会から程近いエリアは、オリンピックにともない、どんどんと開発が進みそうで危惧しています。本当に、一度なくなった自然は、どんなにがんばっても自分が生きている間には戻ることはないことが、悲しいです。いつも、みるのは、祭りのあと、壊れた不要の建築物。少しずつでも、破壊を食い止める、そして再生する力にならなければと感じました。
>>1、2
「環境保全」という正義と「経済成長」という正義が同じ方向性、方法論で納得し合える「あたらしいアイデア」が生まれるといいんですけどね。世界を見渡すたびに、様々な分野で人と人が極論を衝突させ合う消耗戦に陥っているのを実感して、溜め息が出ます。なんとかこの泥沼から抜け出して、しなやかに生きたいよなあと自分を戒める日々です。
>>3
「環境保全」って人類が生存しつづけるためには無くてはならないものだと思います。そこに近代の資本主義がからみあって「経済成長」至上主義が厳然と立ちはだかっているような気がします。人間にとってなくてはならない自然の再生はたとえ100年、200年かかったとしても、自分たちのためになんとか取り組んでいかなければならない課題だと思います。自然の再生を目的とする営利ビジネスってできないのものなんでしょうか。今の人たちはそういうビジネスには喜んで投資すると思うんですけど・・・・それは甘い考えなのかなあ。