12月に入ってようやく里山の木々も紅く色づき始めた。海の向こうに見える富士山の冠雪も例年とは違って未だ薄化粧である。雨が多くて気温が下がらない。おかげで畑のほうれん草には思うように甘味が乗らない。根菜は根腐れする。スナップ豌豆は本格的な冬を迎える前に育ち過ぎてしまうと結果、春を待たずに枯れてしまう。いったい何が起きているのだろう。暖冬、という言葉で片付けて何事もなかったかのように次に進んでも良いのだろうか。
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真心ブラザーズの楽曲の歌詞、大好きです。
シンプルで、奥深くて、
変にオブラートに包まず、言い放ってくれるところが。
地球環境と、経済の発展、どちらを守るべきか。
目の前の儲け話に目がくらんで、
大切なものをどんどん壊していったツケが、
あちこちで目に見えるようになってきているのに、
それでも、便利さや国が発展することを
優先しなくてはならないのか?
と思っているのは、自分だけじゃないんだな、
と小原さんの文章を読むと少しほっとします。
もしかしたら、ほとんどの人はそう思っているのかもしれないですね。
平和を好む人種はアフリカ大陸のごく一部にだけ残って、好戦的な人種が他の大陸に移動していってやがて現代のような社会になっていったという説を聞いたことがあります。もし平和を好む人種だけが残っていたとしたら、産業革命も戦争も起こっていなかったかもしれないし、今とはまったく違う世界が広がっていたのかもしれません。でも現代人のほとんどが好戦的な人種の末裔だとすると、今の世界の様相とこの地球上で起こっている様々なことを考えたときにどうしても悲観的にならざるを得ない自分がいます。希望は持ちたい、でも持てないという感じです。
>>1
僕もほとんどの人がそう思っていると思います。でも、ほとんどの人が「自分だけ」が経済を捨てる、ということができないんだと思います。僕も含めて。
>>3
ひとり一人が自分と大切な誰かにとっての希望になる。そうであればいいんですけどね。