━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
遺言 その3 2015/11/2
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ソーシャル・ネットワーキング・サービス――SNSが身近なものになるに連れ、我々は「友達」という言葉が持つ意味について考えざるを得なくなりました。

「友達」「ともだち」「トモダチ」……SNSでの人間関係は、そういった言葉で可視化されます。

一度も会ったことないけれど、SNS上で深い話をする相手は「友達」なのか? 毎日家庭や会社で会うけれど、心の奥底を決して明かさない相手は「友達」なのか?タグ付けし、グループ分けし、順位付けする対象は「友達」なのか。それは、脳内で行っている人間関係のプライオリティの可視化に過ぎないのか。自分が友達と思っていた相手は、自分のことを単にSNSでフォローしている人間としか認識していないのではないか。あるいはその逆は?

一人前の社会人として認識される年齢の大人が、フォローする・しないで揉め、「いいね!」や「イイネ!」や「スター」をつける・つけないで悩み、「足あと」があるのにコメントの少なさに落ち込む。まるで女子校生のような人間関係の悩みに、40、50、時には60代のおっさんが直面する……そして、後に待つのは「友達」という言葉のゲシュタルト崩壊です。人間は、生まれる時も死ぬ時も一人。咳をしても一人。そこまで達観して生きられるのなら、そもそもSNSなど利用しないのです。


兄貴のアドバイス通りに内容証明を送ったら、すぐにパスワードが届きました。これで祖父のメールアカウントにアクセスできますし、メールアドレスをアカウントとしたすべてのウェブサービスにアクセスできるようになりました。立場が逆だった場合を考えるとちょっと恐ろしいのですが、利用するウェブサービスによってメルアドを変える手間や管理の面倒くささを天秤にかけて――いや、天秤にかけることすら面倒くさいという場合が多いのでしょう。無論、自分もそうです。


それにしてもCIAとは……思い返すだけでニヤついてしまいます。

その昔、祖父は小さな会社を作っていたことがあります。大手出版社に企画を売り込み、ライターやデザイナーなどとチームを組んで雑誌や冊子を仕上げていく……今でいう編集プロダクションの走りのような会社です。

祖父はその会社の代表取締役だったのですが、設立から十数年ほど経ったのち、会社を去りました。今となっては詳細な理由は不明なのですが、作家に専念するためだと他人には説明していました。

そして、それから更に十数年後、その会社も無くなります。出版不況により置くの編集プロダクションが経営的に苦境に立たされる中での倒産でした。いや、新しい社長はあくまでも解散であると言い張っていましたが。

兄貴の話によると、葬式に集まった「ファン」たちは、祖父が会社を追い出されたこと、会社が無くなったこと、この二点にCIAが関わっているのだと、目をぎらぎらさせて興奮して語っていたというのです。

「まったく、クズの周りに集まるのはクズばかりだってこった」

「周囲にどんな人間がいるかをみればそいつの価値が分かるというが、その通りだな」

「CIAの陰謀だって、半分本気で信じてるんだぜ。そりゃテレ東が都市伝説特番を辞めないわけだよ」

そんな具合に嬉しそうに語る兄貴の姿は、まるで川原に棄てられていたエロ本をみつけた中学生のようでした。


確かに祖父は一見すると殺しても死ぬような人間にはみえませんでした。誰かに殺された――そんな陰謀論を口にする人間も出てくるでしょう。

しかし、我々家族は一見人当たりが良く、祖父の真の姿を知っていました。後年になればなるほど祖父と一緒に過ごす時間が減った我々ですらそうなのです。

だから、意外でした。祖父の周囲にいた「ファン」が気づかない筈も無かったのではないかと思うのです。

それとも、祖父の「ファン」には色々な層がいて、べったりと張り付く大ファンもいれば、フォローだけするプチファンもいる。葬式に来て、たまたま兄貴が目にしたのは後者の方だった――そういうことでしょうか?



それも、祖父がファンと交流していたというSNSをみれば分かることでしょう。

パスワードを再発行し、祖父のSNSにログインします。


(この続きは有料でお楽しみください)