国会の周辺の一等地に憲政記念会館がある。
この高台は、江戸時代の初めには加藤清正が屋敷を建て、その後彦根藩の上屋敷となり、幕末には井伊直弼大老が居住した。明治時代になってからは参謀本部・陸軍省がおかれた。それぞれの時代を象徴する場所である。
1970年わが国が議会開設80年を迎えたのを記念し、議会制民主主義についての一般の認識を深めることを目的として、ここに憲政記念館が設立された。この会議場は民主主義の確保を目指し、今日でも様々な会合が催しされてきた。
この憲政記念館がどうも取り壊されるらしい。
記念館解体の理由は、重要な外交文書などを保管する公文書館の蔵書収容量がまもなく満杯状態になるからだ。より広い敷地を求めて移転先として白羽の矢が立ったのが、記念館の敷地である。
公文書館と言うものが、都心の一等地にくる必要がどうしてあるのか。
日本では、重要文書を記録にとどめ
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戦後70年を過ぎており、上下水道、橋などのインフラは当然のこととして、各種公共施設が建て替えの時期にかかっている。野党は政府が進める行政府の建て替えの取捨選択に関与し、残すものとなくすものを明確化していかないと、行政府の思う通りに進んでいくことになる。一番大きな問題は、報道されているように、地方の議会の質問者と回答者のすり合わせが行われることが一般化していると、国民の意見考えが取り入れられる可能性が極めて低くなる。国、地方とも、野党に期待できない状況では、国民、住民が動かなければ、行政府、議員の思いのままになっていくのでしょう。
孫崎先生がおっしゃる「日本では重要文書であればあるほど破棄する。そんな伝統を持つ国の公文書館の意義は極めて少ない」は実に厳しく正鵠を得たご指摘です。
民主主義が始まったポツダム宣言の受諾の翌日から8月いっぱい霞が関からモクモクと煙が立ち上り続けたという話は有名です。きれいに水に流したかったんでしょう。分かります。そして新規に民主主義。変わり身が実に見事。そして70年経て、安倍政権は昨年8月に憲法軽視の決断をし日本の立憲政治は事実上崩壊しました。
権力の中枢が堂々と反知性を行っているのですから、末端の役人たちがお上の気持ちを忖度してゴミ同様の膨大な書類の保管場所として敢えて憲政記念館に白羽の矢を立てたんでしょうね。けなげな話です。
そのような忖度がこれから更に嵩じて明治維新の廃仏毀釈やお隣の国のじゃり革命みたいにとんでもない大事になるんじゃなかろうかととても私心配です。とにかく、嫌なムード。早く政権を変えねばとんでもないことになっちゃう。