今、原発の再稼働に向けての動きが急である。
「再稼働はありえない」と思っている浜岡原発ですら、28日読売は「中部電力は、浜岡原発電で建設中の防波壁を22メートルにかさ上げ工事を始めたと発表」し、福島原発事故を津波とみなし、津波対策で再稼働をしようとしている。
この点に関し2つ指摘したい。
第一に福島原発が如何なる原因で事故に遭ったかの調査を何ら行うことなく、新しい基準をもうけ再開どうしようとする安全委員会の無責任さである。
福島原発一号機は安全委員会の人の内部での現場検証はまだないはずである。東電関係者以外で中に入った川内元衆議院議員は、津波だけでなく地震で事故が起こったと推定すされる写真を撮ってきた。しかし、東京新聞を除き、他の報道機関はどこも報じていない。
次いで理論的面である。さまざまな人が指摘している。私は石橋克彦神戸大学教授(当時)の発言に注目している
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先生の正しい論点がメデイアによって無視されることこそが深刻な今の日本の現状ですね。為政者が邪悪であることは歴史そのものにより証明されています。邪悪になりがちな為政者を諌めるのがジャーナリズムの筈なんですが、テレビと新聞が邪悪とペテンを生業にしているのですから事態は深刻です。かかる邪悪とペテンから国民が目をそらすようになることを望むしかないのですが、なかなか難しい。次なるシビア アクシデントの前に国民が変わりマスメデイアが変わり政治が変わっていかなければならないことを考えれば気が遠くなります。が、今でもインタネットがあり、立派な地方紙もあり、ミニコミありで、それらを使って、政治とメデイアの批判を地道に続けていくしかありませんね。
原発に対する考え方が二岐に分かれる二つの問題があります。根本的な問題と現状認識選択の問題です。
① 原発の根本問題は、命が大切か、経済性が優先されるかである。経済性の問題は、文化的生活が確保できるかどうかであり、現在はこの冬を原発に依存しなくても乗り切れるし、今までも乗り切ってきた。ランプの時代に戻らなければならないとの見方は完全に否定された。価格が上がるというが、既に上がっており、もし企業に支障が出ると言うのであれば、自民党の得意の技「企業支援」をすれば簡単に解決することです。
② 現状認識処理の問題は、汚染対策と再稼動を同時に進める技術者、作業者を充分東電は抱えているかどうかです。再稼動を許可すれば、東電は損益の経済性で動くのは当然のことです。汚染処理が進むのかどうか、もともとやる気がなく、利益の上がらない後ろ向きのことに、東電が全力を挙げることは考えられない。政府行政機関の役割が大きいのですが、どちらも企業の立場に立って判断する人ばかり、この国は、公共性と経済性の区別が全くつかない市場競争主義の米国と同レベルといえる、。ため息ばかりが出る。
米国依存を脱却し、原発依存から脱却しようとするドイツとの格差が広がるばかり、情けない私たちの日本であり、私たち日本人です。
千年に一度の大津波を予見できなくても仕方がない。東京地検は、加害者である東京電力の言い分を信じて、東電幹部や政府関係者を不起訴にしました。被害者の発言は無視して、加害者の言い分だけを信じるのでは、検察官として失格ではありませんか。
しかし、事故直後の国会で、原子力安全委員長が、津波が到来する前に受電鉄塔が倒壊し、原発内部が停電になっていたことを認めているのです。国会事故調の報告書でも、現場を東電が「放射能が高くて危険」とウソをついて妨害したことは明記されています。
原発の安全に、重大な責任を負っているはずの原子力規制委員会が、福島の事故原因の調査もできない内に、再稼動に前のめりなのも異常です。泉田新潟県知事もいうように、まず事故原因を解明し、対策を講じた後でなければ、再稼動させてはいけないのです。最初から解っていたことですが、原子力ムラの住人に「規制」なんてできるはずがないのです。