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もしも髪がすべて抜けてしまったら……。

12歳から10年以上にわたって脱毛症と向き合ってきた20代の女性の手記を紹介します。

髪の毛がごっそり抜け始めた!

2005年撮影、脱毛症を発症する前のカイリー(写真提供:本人)

私の脱毛症は、最初ポツポツといくつか円形脱毛症ができたのが始まりでした。まだその頃は、髪の向けたところを三つ編みで簡単に隠せていました。当時はまだ12歳だったこともあり、そこまで自分の状況を深刻にはとらえていませんでした。どっちみち、いつも髪の毛はスッキリと結んでいる方が好きでしたから。

しかし高校生活も半ばになる頃には、症状がさらに悪化していました。高校2年生の春休みのあの日のことは一生忘れることはないと思います。春休みのある日、急に髪の毛がごっそり抜け始めたのです。

その朝、シャワーで頭を洗おうとすると、はげている場所が増えているのに気づきました。髪の毛がどんどん抜け、手に絡まり、そして腕全体を覆い隠しました。あれはかなり生々しい光景でした。

それからというもの、私の抜け落ちた髪の毛で、シャワーの排水口が詰まり、毎朝起きると、枕にはたくさんの髪の毛がついているようになりました。風が強い日などには、髪の毛が風に吹き飛ばされ、一緒にいた友達の衣服についてしまっていました。

しかし、脱毛症のやっかいなのは、一体それがよくなっているのか、それとも悪化しているのかを判断することがほぼ不可能という点です。だから、私はそれから1か月ほど様子をみていました。

難病やがんも疑った結果、わかったのは……

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しかし状況は一向によくならず、私は事の深刻さに気付いたのです。まず私がやったのは、ボブスタイルのかつらを買い、髪が薄くなった頭を隠すことでした。

学校でも、だんだんとまわりが私の変化に気付きはじめましたが、私自身、自分にいったい何が起こっているのかまったく見当がついていなかったため、人から聞かれてもどう答えてよいか、わかりませんでした。みんな、私が命を奪われるような病にかかっているのだと思っていたようです。

しばらくは医師らも診断をつけきれず、診察や検査で学校を休みがちに。全身性エリテマトーデスやがんが疑われ、そのための検査も受けました。この状態が3年間も続いているのに、単なる脱毛症なわけがないだろうと……。

しかし、とうとうそれは、消去法で脱毛症だという結論に達したのです。診断が確定すると、ほとんどの専門家が驚きを隠せずにいました。そして、その脱毛症は原因不明の自己免疫疾患であり、これには治療法がないということも判明。15歳の私は「解決策のない病気である」と診断されたのでした。

思い切って、丸刈りにしてみた!

もちろん、あらゆる検査結果が陰性だったことは、本当によかったと思っています。でも、実際は病人でもないのに、病人であるかのように自分が見えてしまうのが嫌でたまりませんでした。だから、私は思い切って頭を丸刈りにすることに決めました。もう二度と取り戻せないものに執着している自分にうんざりしたのです。

丸刈りにすることは、私の人生を振り回していた脱毛症から再び主導権を取り戻す、私なりの方法でした。家族や友人たちはやたらと騒ぎ立てましたが、すごく爽快な気分に。

それ以来、私はかつらを被るようになりました。一見直感に反した行為のようですが、丸刈りにしたことは、どちらかといえば、次のステップへ進むためだったのです。

最初、私はかつらをすごく気に入っていましたが、それによって、実はいろいろなことが阻まれていました。

第一に、私はプールやビーチを徹底して避けていたのです。それに、アミューズメント施設にも絶対に行きませんでした。なぜなら、かつらをつけたままジェットコースターには乗れないから。しかも、気温が38度以上になる夏場は、かつらはとても暑くて不快なものでした。

長い間かつらのせいで、社交の場から遠ざかっていたことに気づいた私は、ついにかつらを被らなくなりました。

私を受け入れられない人は、人生に必要がない

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Kylie Bambergerさん(@kyliebamberger)がシェアした投稿 - 2019年 5月月4日午後2時02分PDT

当時私はサッカーをやっていましたが、チームメイトたちは、ありのままの私を受け入れてくれ、もっと自分に自信を持つように励ましてくれました。私の脱毛症を受け入れられない人は、私の人生には必要がないことに気付かせてくれたのです。

夫であるサイも、この私の悟りの手助けをしてくれた人のひとりです。私たちは大学在学中に出会いました。当時私はまだかつらをつけたりつけなかったりしていて、特にデートの時にかつらを被るのには複雑な思いがありました。自分をより魅力的にみせるには、必ずかつらが必要だと思っていました。でもそれと同時に、丸刈りで写っている写真も知られていたので、かつらを被るのがすごく嫌でもありました。

なので、サイと付き合いはじめた時も、彼は私のかつらに気付いていました。でも彼はなぜ私がかつらを被らなければいけないのか分からなかったと言います。そして脱毛症の話になった時に、彼は「私がかつらを被りたければ被ればよいけれど、自分のために被るのだったらやめてくれ」と言ったのです。

これは私にとって大きな出来事でした。それまでは、いつだって異性と話すときは不安感に圧倒され、よくひとりで泣いていました。サイは、私よりも先に私の美しさを理解し、受け入れてくれたのです。他人に合わせるのではなく、自分の心の声に耳を傾けるように、と彼は私に教えてくれました。

結婚式も例外ではありませんでした。20年後に子どもと一緒に写真を見返したときに「ママ、どうしてかつらを被っているの?」と聞かれるのを想像したくなかったのです。もしかつらを被っていたら、きっと答えに困ってしまったでしょう。

脱毛症によって、美の基準が変わった

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Kylie Bambergerさん(@kyliebamberger)がシェアした投稿 - 2019年 6月月26日午前9時26分PDT

脱毛症で、人生がすっかり変わってしまったのは確かです。でも、別の人生の方がよかったということでは決してありません。脱毛症にならなければ、今のようにモデルになんてなれなかったと思います。それに、私の結婚式が『People』誌の記事になったり、真の友達を見つけたりもできなかったはず。脱毛症のイベントで出会う刺激的な人たちにも、きっと出会えていなかったでしょう。

要するに、脱毛症には身体的苦痛はなく、美の基準が変わるのです。社会が一定の見た目で女性を評価するから、苦痛が生まれます。それは、ほんとうにばかげたこと。

赤毛の女性は色っぽい性格だとか、くせ毛でうねっている女性はゆったりとした性格だとか、ヘアスタイルで女性の性格を決めつける。じゃあ頭から毛がなくなった場合はどういう意味なの? と思ってしまいます。

最初の頃は、脱毛症によって自分の女性らしさが奪われてしまったように感じていました。でも今は、私の頭から毛がなくなったことで、社会からの期待と無縁になれたと思っています。美しさの意味を問い直すことにつながっているのです。

髪の毛を失うことはつらいけれど、広告モデルのような表面的な美しさが真の美しさではないと気付くことができました。そして、人生のほんとうの意味が分かってきたんです。

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Kylie Bamberger, As Told To Kiera Carter/One Woman’s Alopecia Made Her Rethink Society’s Definition of Beauty/STELLA MEDIX Ltd.(翻訳)

RSS情報:https://www.mylohas.net/2019/10/200731pvn_alopecia.html